政治家はテレビをどう見たか――土井たか子と田村元の視線(1970年)
1970年前後、日本は高度経済成長の絶頂期にあり、同時にテレビという新たな「情報の覇者」が国民生活の中枢に躍り出ていた。カラー放送が広まり、家庭の団らんの中心はちゃぶ台からテレビへと移り変わった時代──その渦中で、二人の政治家がそれぞれの視座からテレビをどう受け止めていたのかが浮かび上がる。
一人は土井たか子。のちに日本で初の女性衆議院議長となるが、当時は日本社会党の衆院議員として活動していた。アンケートでは、彼女は「視聴時間は減った」としながらも、バラエティ番組『11PM』を好んで見ていることを正直に明かす。そして、「好みの出演者が出るから」「家にいる時間と合うから」と述べ、番組を"娯楽"として享受する庶民感覚をにじませている。一方で、テレビ番組の中に"とけちゃったソフトクリームのような印象しか残らない"ものもあると述べており、情報の質に対する皮肉も忘れてはいない。
対照的なのが、田村元(自民党・のちの衆議院議長)。彼は「テレビを見る時間がほとんどなくなった」と言い切り、政治家としての職務を理由にテレビから距離を置いている。視聴習慣の欠如は、彼にとって知的・文化的影響からの距離ではなく、むしろ政治という現実の現場を優先する立場を象徴している。しかも、「たとえ見たとしても酔眠モーローで覚えていない」と語るその文体からは、メディアへの一定の無関心と軽視もにじむ。
この二人の態度の差は、単なる個人の嗜好を超えた、政治家とメディアの距離感の違いを表している。土井は「テレビと共にある国民」としての目線を持ち続けた。一方で田村は、「テレビの外にある国家」としての視座を崩さない。
当時、テレビは政治報道の場であると同時に、大衆娯楽と広告の渦でもあった。テレビを見ることは、すなわち「映される自分」を意識することでもあった。政治家たちはこの"監視"の回路の中で、自らの立ち位置を選ばざるをえなかったのである。
つまり、土井のようにテレビに溶け込み、共感する者もいれば、田村のように沈黙と距離で応じた者もいた。それぞれのテレビ観は、当時の大衆民主主義とマスメディアのせめぎあいを映し出す、鏡のような存在だった。
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