舞台を去るとき――宝塚と老いの芸能譚(1970年代初頭)
宝塚歌劇団に定年制が導入されたのは華やかな舞台の裏に見えない退場の鐘が鳴り始めた瞬間だった。五十六歳。それは芸が円熟し舞台に深みと陰影を与えるはずの年齢である。しかし日本の芸能界ではその年齢が「引退」の合図とされた。「処女の集団に六十歳の人がいるのは珍しい」と語られた言葉には宝塚の持つ若さ至上主義への冷ややかな皮肉が込められている。そこでは年齢とともに積み上げられた経験よりも若さと清新さが絶対視されていた。
一方海外では事情が異なる。チャップリンは八十二歳にしてアカデミー賞特別賞を受けジェーン・フォンダは政治的立場さえも芸の一部として評価されていた。年齢を重ねた表現者が再び光を浴びる。それは「老い」が終焉ではなく新たな表現の地平であるという文化的認識が根付いているからだ。
1970年代日本は高度成長を経て「新しさ」への欲望が社会を席巻していた。テレビが主役となり芸能界は瞬間的な魅力と消費されやすい若さに価値を見出すようになっていた。そうしたなかで老いを抱えた芸は忘れられ見えなくなっていく。だが本当に芸とは若さだけのものだろうか。年を重ねた声、皺を刻んだ表情、言葉の間に滲む人生。それらを失った舞台に果たして真実の演技は宿るのだろうか。
芸とは時間の中で鍛えられ静かに熟していくものである。その声に耳を澄まさなければ文化は深みを失いただ薄く速く流れていくだけだ。老いた舞台人たちが立つ場を持たぬ国に果たして舞台芸術の未来はあるのか――そう問いかける時代がすでに始まっていた。
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