Tuesday, May 20, 2025

光を笑いに変える者――立川談志・芸と政治の臍火 発言集(1980年代)

光を笑いに変える者――立川談志・芸と政治の臍火 発言集(1980年代)

立川談志は、芸人が観客に媚びることを拒んだ。「プロが客を失望させるのはあたりまえで、こっちは発光体だから」。自ら光を放つ存在として、観客の欲望ではなく己の芸を信じて舞台に立つという信念がそこにある。芸人は神様に仕える者ではなく、真実を語る表現者であるべきだと彼は考えた。

そんな談志が怒りをもって語るのが、言葉の自由の喪失である。妾も盲判も、放送禁止用語として葬られた。だが、落語は庶民の生活の写し鏡であり、その言葉こそが命だった。時代が放送倫理を盾に言葉を殺していくことに、彼は憤る。ズタズタにされても、なお言わなければならぬという覚悟が、彼の高座にはあった。

社会へのまなざしも鋭い。「弱者が正義ぶってるのが今の世の中」と談志は切り捨てる。批判や風刺ができぬ空気の中で、芸はどこへ向かうのか。芸の継承についても、月謝を取るような関係は否定し、「師匠が小遣いやるくらい」でちょうどいいと語った。芸とは心で繋がるものであり、銭では量れない。

政治家としての経験も、自らの言葉への責任の延長だった。「文句があるなら出ろ」と言われ、本当に出た。芸人の言葉が届かぬなら、自分で立つしかない。彼の落語は、伝統と現代、笑いと怒りの間に立ち、常に己を燃やし続ける臍火だった。

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