境界線の波が呑み込むもの ― 東京湾最終処分場と東京都・千葉県の綱引き・1995年
1990年代、日本は高度経済成長の副産物として生じた「ごみ問題」に正面から向き合う必要に迫られていた。バブル経済の崩壊後、不況と社会的閉塞感が漂う中でも、首都圏の都市化と大量消費は止むことなく、ごみの最終処分場の確保は、行政にとって喫緊の課題であった。特に東京都では、既存の「中央防波堤外側埋立地」が満杯に近づき、新たな処分場の建設が不可避となっていた。
その解決策として打ち出されたのが、「新海面処分場」の建設である。これは東京湾の中でも千葉県に近い湾央部に位置し、東京都が主体となって埋め立てる広大な処分用地であった。だが、そこに立ちはだかったのが、都県境のあいまいさという、海ならではの行政的盲点であった。
千葉県は、該当海域が自県の管轄にまたがっていると主張し、処分場建設に伴う漁業権 税収 土地登記などの問題で東京都と対立。漁業協同組合の補償や、万一の海洋汚染への責任区分も含め、複雑な利害が絡み合った。
1995年7月、両者はようやく基本合意に達する。内容は、処分場の区域を「共有地」と見なし、漁業補償を共同で行い、税収についても協議のうえ分担するという"玉虫色の決着"だった。しかし、それはあくまでスタートラインにすぎなかった。今後の埋立て地管理 水質保全 ごみ搬入経路の責任分担 そして埋立て完了後の土地活用など、さらに多くの問題が残された。
この問題が象徴したのは、都市の巨大化が、行政区分を超えて環境問題を押し広げていくという現実である。湾岸に接する複数の自治体が、それぞれの住民利益と行政権限を盾にせめぎ合う中で、東京湾は「境界の海」ではなく、「争いの海」となっていた。
この一件は、後の2000年代にかけて顕在化していく"広域ごみ処理行政"の先駆けでもあった。環境問題の調整は、自然と向き合うだけでなく、人間社会の利権と線引きに深く根ざしている。そのことを、新海面処分場は静かに、しかし確実に突きつけていたのである。
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