Tuesday, May 20, 2025

焼けた砂が再び土を潤す――土浦で始まった鋳造廃砂の再生革命(1997年頃)

焼けた砂が再び土を潤す――土浦で始まった鋳造廃砂の再生革命(1997年頃)

1990年代の日本は「ゼロ・エミッション社会」や「循環型社会」という言葉が政策や産業界に浸透し始めた時代であった。1991年のリサイクル法を皮切りに建設副産物や産業廃棄物の再資源化が各業界で模索されていた。そして1997年には京都議定書が採択されようとしており日本全体が「脱廃棄物」「脱埋立」への大転換期に入っていた。

そのような中茨城県土浦市の民間処理工場で開発されたのが使用済み鋳型の廃砂を約900度で焼成し多孔質セラミックスへと再生する技術である。鋳造業界では製品を形成する際に使用される型砂が大量に発生するが従来はそのほとんどが埋立処理に回されていた。年間数百万トン規模で排出される廃砂は埋立地不足という社会問題とも直結しており環境負荷の大きな産業副産物とみなされていた。

この技術の革新性は焼却でも埋立でもなく「熱変換による再資源化」という点にある。高温焼成によって多孔質化されたセラミックスは保水性や通気性に優れ水質浄化剤や土壌改良材あるいは植生基盤材として二次利用される。つまりかつては「廃棄物」として扱われていた砂が「環境改善材」として価値を持つという材料の意味転換がここに起きたのである。

1997年当時この処理技術は月間400トンの処理能力を持ち「廃砂ゼロ」を掲げるモデル工場として業界内外の注目を集めていた。さらに通商産業省も技術実証に協力しており省庁と企業地方自治体が連携する先進的な取り組みと位置づけられていた。

この技術開発の背景には単なる経済合理性ではなく「製造業が環境責任を果たすべき」という思想的転換もあった。廃棄物は単なる後処理対象ではなく「材料の未来」そのものであるという価値観が鋳造という古典的製造分野に新たな倫理と可能性をもたらした。

このように土浦で始まったこの静かな技術革命はやがて「資源循環技術」「ゼロエミッション構想」など日本の産業政策の中核思想へと接続されていくことになる。焼かれた砂が再び土に還り水と緑を支える素材としてよみがえる。そこには環境技術のもう一つの詩が静かに息づいていた。

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