沈黙の海を越えて――水俣・再生の町が描いた希望の設計図(2000年)
2000年、かつて「死の海」と呼ばれた水俣湾に、アマモの緑が揺れていた。水俣市は、公害の象徴から環境共生都市へと歩みを進めていた。かつて有機水銀によって傷ついた海と人、その記憶を土台に、町は「環境未来都市構想」を掲げる。市民と行政が共に手を携え、湾の再生やリサイクル産業の育成に乗り出した。
市内には環境教育の拠点が整備され、次世代への継承を重視した学びの場が広がる。また、国のエコタウン構想のもと、水俣は再資源化技術を活かす企業の誘致にも成功し、持続可能な地域経済の基盤を築こうとしていた。
その背景には、90年代の環境基本法制定、そして97年の京都議定書といった国内外の環境政策の転換があった。水俣の挑戦は、その最先端に位置していた。単なる技術革新ではなく、「過去とどう向き合い、未来へ手渡すか」という倫理的問いへの応答であった。
この町の再生は、許しと責任、記憶と希望が交差する物語である。人と自然の関係を問い直す水俣の試みは、海の沈黙を超えて、静かに語りかけてくる。
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