Saturday, May 24, 2025

鋭いまなざしは森に消えるのか――オオタカと開発が交差した臨界点(2000年)

鋭いまなざしは森に消えるのか――オオタカと開発が交差した臨界点(2000年)

2000年、日本の自然環境に一つの警鐘が鳴らされた。かつて"里山の王"とも称された猛禽類・オオタカの個体数が急減し、その生息地が全国で危機に瀕しているという報告が相次いだ。オオタカは食物連鎖の頂点に位置する存在であり、彼らの減少は生態系全体のゆがみを示す象徴でもあった。

この年、環境庁(現・環境省)はオオタカ保護に向けた三年計画をスタートさせる。全国的なアンケート調査や、電波発信機を用いた行動追跡といった科学的手法を導入し、どの程度の開発がオオタカの営巣や生息に影響を与えるのかを数値化することが目的だった。すなわち、単なる感情論ではなく、実用的・科学的な保護指針の構築を目指す画期的な取り組みであった。

この背景には、1990年代以降の日本社会における「開発と環境保全のバランス」をめぐる深刻な葛藤がある。バブル崩壊後、日本各地では都市開発や道路建設、ゴルフ場整備といったプロジェクトが再活性化しつつあったが、それらはしばしば自然生息地を圧迫していた。とりわけ、都市周縁部の里山・雑木林が狙われ、オオタカやサシバ、フクロウといった猛禽類が棲む空間は次第に失われていった。

さらにこの時期、「レッドデータブック」や「生物多様性条約(1992年)」といった国際的・国内的な動向が、日本の自然保護政策に強い影響を与えていた。生物多様性保全という観点からも、オオタカのような上位捕食者の動向は、自然環境の健全性を測る「指標種」として重視され始めていたのである。

この取り組みの意義は、「開発=悪」「保護=正義」という単純な二項対立を越え、具体的な土地利用指針の中に野生動物の論理を織り込む点にあった。営巣地から何メートル以内は開発不可か、伐採の時期や規模はどうあるべきか――そうした実務レベルの判断基準が求められていた。

2000年のこの試みは、オオタカという一種の"自然の目撃者"を通して、日本の環境行政が「理念から制度へ」「願望から設計へ」移行しつつあることを象徴していた。生態系の破壊が可視化され、法的・技術的に折り合いをつけるフェーズに入った時代の証言だったのである。

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