崩してつなぐ都市――建設廃棄物から循環社会への転換点(2000年)
2000年、日本の都市空間は静かに、そのかたちを変え始めていた。戦後の高度成長期に築かれた無数のビル群が、老朽化とともに取り壊され、東京をはじめとする首都圏では、解体工事が日常風景となっていた。その背後に積み上がるのは、かつて語られることのなかったもう一つの遺産――建設解体廃棄物の山である。
建設省は、2025年には首都圏だけで5500万トンの廃棄物が発生すると予測した。1995年時点のリサイクル率は、コンクリート塊で65パーセント、木材で40パーセント。再資源化は進んでいたように見えても、残る数百万トンが埋立地へと流れ込む現実があった。その最大の要因は、現場での混合廃棄である。鉄筋も、木材も、断熱材も、すべてが一緒に排出され、資源価値を失っていった。
こうした課題に対し、行政は「分別解体」という新たな技術手法の導入を進めていた。建材を種類ごとに分けて解体することで、再資源化率を大きく向上させようとする取り組みである。しかし、それには専門性とコストが伴い、普及には行政の制度的支援が不可欠であった。
この転換点に至るまでの背景は長い。1950年代から70年代にかけて、日本は"つくること"に邁進し続けた。都市は膨張し、建設こそが未来をかたちづくる手段だった。そして1980年代にはスクラップ&ビルドが常態化。建てては壊す都市更新が繰り返されるなかで、廃棄物という"見えない都市の層"が静かに積み上がっていった。
1990年代に入り、ようやく廃棄物行政は構造的な改革に動き出す。1991年の廃掃法改正、1993年の環境基本法、1995年の容器包装リサイクル法、1997年のISO14001普及と、制度と意識は着実に準備されていった。1998年には建設副産物処理指針が策定され、そして2000年、ついに「循環型社会形成推進基本法」が成立する。
この法は、廃棄物を"資源"と見なし、再使用、再生利用、熱回収、最終処分という順で対応することを原則とした。建設分野にもその影響は及び、分別解体や資材の再利用が義務化へと向かっていく。大量建設・大量廃棄モデルから、循環モデルへ――2000年は、まさにその境界に立つ年だった。
解体とは、終焉ではない。それは、かつての都市を記憶しながら、次の社会の構想を始めるための、静かなる始まりである。私たちはこの瓦礫の中に、未来の建材を見出せるだろうか。2000年、日本は都市と資源の関係を根底から問い直す、その一歩を踏み出していた。
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