Saturday, May 24, 2025

《煙と芯の記憶――北星鉛筆とおがくずのゆくえ -2002年・東京近郊》

《煙と芯の記憶――北星鉛筆とおがくずのゆくえ -2002年・東京近郊》

2002年、東京近郊。北星鉛筆株式会社の杉谷社長は、おがくずという「燃えかす」の行方について語った。その言葉には、過ぎ去った昭和の香りと、平成の環境規制が交錯する現場の息づかいが込められている。

「かつておがくずは、銭湯の燃料として引っ張りだこだったが、銭湯の衰退により再利用の道が閉ざされた。そのうえダイオキシン禍などにより、周辺住民からは煙を出さないでほしいという声も高まって、自家焼却も難しくなっていました。」

この一言は、地域の暮らしと産業がかつていかに密接だったかを物語る。だが、時代は変わった。都市ガスが普及し、環境配慮が法制度のもとで厳しく求められるなか、小さな鉛筆工場の「副産物」は、もはや燃やすことすら許されない存在となった。

しかし、杉谷社長は諦めなかった。「燃やせないなら、活かす道を探す。」その姿勢は、廃棄物を資源へと昇華させようとする意志の表れであり、同時に、循環型社会の萌芽を示す象徴的な試みでもあった。鉛筆の芯のさきに生まれたおがくずは、時代の転換点で、ふたたび役割を探して歩みはじめたのだった。

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