Sunday, May 25, 2025

《見えざる崩壊の風景――トキが消えた国の「静かな破壊」 -2002年・日本》

《見えざる崩壊の風景――トキが消えた国の「静かな破壊」 -2002年・日本》

2002年、日本。バブル崩壊から立ち直りきれぬ経済と、高度成長の遺産が残る都市空間のなかで、「自然」が日常の風景から消えつつあった時代。そんな中で語られたのが、「緩やかに壊れていく自然」への警鐘だった。

日本の自然破壊は、急激な開発や災害ではなく、長期にわたる都市化、農業の集約化、そして社会の無関心という形で進行してきた。その象徴が、かつて日本全土に広く分布していた「トキ」の絶滅である。佐渡島に最後の野生個体が確認されて以降、人工繁殖の試みは続けられていたが、すでに日本原産のトキは絶えていた。

これは突発的な事件ではなかった。農薬の使用、湿地の開発、餌となる生物の減少、そして里山の放棄といった複数の要因が、長い時間をかけてトキの生息環境を蝕んでいったのである。つまり、日本の生態系の崩壊は「静かに」「確実に」進行していた。

2002年当時、日本は「循環型社会形成推進基本法」(2000年施行)や「自然再生推進法」(2002年成立)といった法整備を進め、表面上は環境への意識が高まっているように見えた。しかし実際には、都市生活を営む大多数の人々が、自分たちと自然との関係性を見失っていた。

この時代の日本社会は、"自然は管理されるべきもの"という工学的発想に慣れきっており、風景が整っていれば環境も安定していると錯覚する傾向があった。たとえ湿地がコンクリートに覆われ、里山が放置されても、その変化を"破壊"とは感じない。自然の緩やかな死に、誰も気づかない――それが「無関心」の本質だった。

そしてこの無関心は、制度や政策の遅れにも波及する。生物多様性の消失は時間差で影響を与えるため、選挙や予算編成といった「即効性」を重んじる政治構造では、対応が後手に回る。2002年における「環境破壊」とは、目に見えぬほど緩慢なスピードで、それでも確実に、社会の根をむしばんでいたのである。

この時代に発せられた「静かな破壊」という言葉は、すでに進行中の崩壊を可視化する試みだった。そしてそれは、トキの消えた空に静かに残響する、最後の生態系からの問いかけでもあった。

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