Sunday, May 25, 2025

《沈黙する多様性――経済成長の影に消えた命たち -2002年・日本》

《沈黙する多様性――経済成長の影に消えた命たち -2002年・日本》

2002年、日本。バブル崩壊から10年以上が経ち、経済の低迷と構造改革の狭間で国全体が再起を模索していた。小泉政権のもとで進められた「聖域なき構造改革」は、経済合理性と市場原理を社会全体に浸透させようとしていたが、その影で自然環境は静かに、確実にその多様性を失っていった。

戦後から1980年代にかけての高度経済成長期、日本は破竹の勢いでインフラを整備し、工業地帯を広げ、農業を機械化してきた。結果として、都市は膨張し、郊外や山間地は開発の波に飲み込まれた。多くの湿地や里山は宅地に変わり、河川は護岸で囲まれ、森は林道とゴルフ場に分断された。

この変化は、見えにくい速度で進行していたため、社会全体がその深刻さを認識するのは遅れた。たとえば、かつて子どもたちの身近にいたホタルやカブトムシ、カエルたちは、気づけば姿を消していた。日本は世界でも有数の生物多様性を誇る国でありながら、その豊かさが失われていく過程に無自覚だったのである。

2002年当時、国際的には生物多様性条約(1992年採択)やラムサール条約(湿地保全)の枠組みが機能し始め、日本もこれらに加盟していたが、国内政策は追いついていなかった。特に経済再生が最重要課題とされていたこの時期、自然保護は「費用対効果が見えない」という理由で後回しにされることが多かった。

同年には「自然再生推進法」が制定され、「循環型社会形成推進基本法」も施行されていたが、制度ができても実効性は乏しく、現場では予算不足や人的資源の欠如に悩まされていた。森林管理も、かつての里山文化が衰退したことで放置林が増加し、外来種の侵入や山林の荒廃を招いていた。

このような背景のもと、「生物多様性の喪失」は単なる自然保護の問題ではなく、人間社会の価値体系そのものの歪みを映し出す鏡であった。効率・成長・利益を優先する価値観は、自然のゆるやかな時間や複雑な相互依存関係を理解しない。

自然が沈黙するとき、それは単に風景が変わるのではない。目に見えない生態系の機能が崩れ、社会そのものの持続可能性が揺らぎ始める。それが2002年の日本における、静かなる「環境の緊急事態」だったのである。

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