和歌山・2007年春――マサバの退場、ゴマサバの登場――海に潜む交代劇の静かな波紋
2007年、気象庁は日本近海の長期的な海面水温上昇の実態を発表し、和歌山県紀南沿岸の漁業者たちを静かに震撼させた。紀伊半島の南端に広がる豊かな漁場では、かつて脂の乗ったマサバが漁の主役であった。だが1990年代以降、水温はじわじわと上昇を続け、100メートル深の海中温は15度台から17度台にまで上がった。海は、確実にその性格を変え始めていた。
その結果、漁師の網にはマサバではなく、熱帯系のゴマサバがかかるようになった。マサバは寒流に適応した魚であるのに対し、ゴマサバは黒潮系に属し、温暖な水温を好む。こうして「魚種の交代劇」が海の底で静かに進行していたのである。
2005年には、和歌山県のサバ類漁獲の8割をゴマサバが占めるに至った。しかしゴマサバはマサバに比べて脂が少なく、鮮度も落ちやすいため市場価格は低い。漁獲量が増えても漁師の収入は減るという"逆転の構図"が広がり、長年の経験に支えられた地域の漁業経済はじわじわと浸食されていった。
当時の日本は、2008年から始まる京都議定書の第一約束期間を目前に控え、地球温暖化が遠い話ではなく、「足元の問題」として意識され始めていた。だが、環境変化の影響は山や都市ではなく、まず海に現れる。魚が変わる。藻場が消える。漁師が困る。それは理論ではなく、感覚で捉えられる変化であり、生態系が一斉にシフトし始める前触れだった。
この和歌山の事例は、温暖化が単に"気温が上がる"という話にとどまらず、食と文化と暮らしを根底から揺るがす力を持つことを物語っている。海の温度が1〜2度変わるだけで、食卓に上る魚が変わり、伝統的な漁法や流通網、そして地域経済の秩序そのものが塗り替えられてしまうのである。気候変動とは、自然だけでなく社会そのものの設計図を書き換える"静かな革命"なのだ。
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