焦土の風が哭いた日――ブラックサタデーの記憶(2009年2月)
2009年2月7日、オーストラリア・ビクトリア州を襲った山火事は、「ブラックサタデー(Black Saturday)」として歴史に刻まれた。同国史上最悪とされるこの火災は、灼熱の気温、猛り狂う風、そして極度の乾燥という、まさに地獄のような気象条件のもとで発生した。気温は46度、風速は時速100キロを超え、湿度はわずか5パーセント。自然のすべてが火を歓迎しているかのようだった。
この炎の嵐によって173人が命を落とし、約400人が重軽傷を負った。家屋は2千棟以上が焼失し、森は45万ヘクタールにわたり黒焦げにされた。被害を受けた地域は78か所にのぼり、被災者の数は約3万人に達したとされる。最も甚大な被害が出たキングレイクでは、町の大部分が失われた。火災の熱と速度は凄まじく、ある地域では炎が1時間に12キロという速さで拡がったという。
この未曽有の災厄の遠因として、気候変動の影が濃く立ち現れる。地球温暖化によってオーストラリア南東部の干ばつは慢性化し、山林には燃えやすい枯れ木や落ち葉が堆積していた。また、過去の林野管理政策の変更により、定期的な火入れなどの予防策が縮小され、都市と山林の境界が曖昧になったことも被害を拡大させた。さらに、いくつかの火災では倒壊した送電線や放火の可能性も指摘されており、自然と人為が交差した複雑な背景があった。
ブラックサタデー以前にも、オーストラリアは幾度も「ブラック」の名を冠した火災に見舞われている。1939年1月の「ブラックフライデー」では71人が死亡し、193万ヘクタールが焼失した。また、1983年の「アッシュウェンズデー火災」では南オーストラリアとビクトリア州で75人が命を落とした。21世紀に入ってからも、2019年から2020年にかけての「ブラックサマー」は全土にわたり広がり、33人の死者、30億匹以上の動物の被害という甚大な環境損失をもたらした。
ブラックサタデーは、単なる火災ではない。それは気候の異変と政策の隙間、そして文明が抱える傲慢のすべてが、一瞬にして噴き出した象徴だった。あの日、焦土を駆け抜けた風は、過ちを問いかけながら、人間の脆さと自然の猛威とを静かに語っていた。人類がその問いにどう向き合うかは、これからの世紀を決定づける鍵となる。
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