医療廃棄物バブルの秋――平成六年の記録
平成六年の秋、焼却炉の炎はただゴミを燃やすだけでなく、人々の欲望もともに焦がしていた。かつて病院の裏手でひっそりと処理されていた注射針や血の付いたガーゼは、1992年に「感染性廃棄物」として法制化されたことで突如、金のなる木となった。処理単価は従来の十倍以上。清掃員の刺傷事故や不法投棄を契機とした法改正だったが、そこへ殺到したのは廃棄物の専門業者ばかりではなかった。不動産、タクシー、土木、寝具販売まで、異業種がこぞって参入し、まるで発熱するかのように市場は拡張していった。
「新しい市場になりますからね」と語るのは、全国産業廃棄物連合会医療廃棄物専門部会の渡辺昇部会長。だが彼は同時に、業者乱立による価格破壊と処理品質の劣化を強く憂える。「安いところは、以前と同じ方法で処理するしかない。法改正前に逆戻りですよ」と口を結ぶ。NECや富士通が開発したバーコード追跡システム、伊藤忠と綿久寝具による容器回収システム、新日鉄グループの焼却炉など、先端技術が導入された一方で、杜撰な焼却処理も裏では生き続けていた。
処理業許可業者は1500社を超え、その9割が未経験の新参者。規制が生んだ安全のはずの制度は、逆に無法の隙間を生み、闇にうごめく者たちを吸い寄せた。焼却炉の煙は、清浄な未来を約束するどころか、制度と市場が生み出した矛盾を空へと押し上げていたのである。
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