Tuesday, May 13, 2025

「知性は海に泳ぐ――ベルクソン『創造的進化』をめぐる思索」

「知性は海に泳ぐ――ベルクソン『創造的進化』をめぐる思索」
そうですね。えっとですね、あの、ベルクソンの『創造的進化』について、ちょっと雑談をしたいと思うんですけども。この作品はベルクソンの著書の中でも「労作」と言われていて、ボリュームがかなりあるんですけれども、今、2025年から見ると、相当先駆けたことを言っているんですね。

情報科学の視点からすると、まず「フラクタル」という概念をすでに言っているんだと思うんですよ。要するに、従来の意味での目的論というのはあまり良くなくて、生命が目的を持つとしたら、それは生命全体が持っている目的だ、という話をしている。これは当時は適切な言葉がなかったようなんですけれども、今の視点から見ると、これは「フラクタル」と言っていいんじゃないかと思います。

つまり、分岐していく構造で、そのスケールが変わっても形が残る。海岸線とか、マンデルブロ集合みたいに分岐してスケールが大きくなったり小さくなったりするけれども、形や構造が保たれる。こういった議論、特に「目」の構造に関する話などもそうですが、フラクタル性をかなり早い段階で言及していると思うんです。

それから第4章、「無の概念」というものが出てきます。「無」とは一切のものを消滅させることではなく、否定を削除することでもない。むしろ、何かを追加していくことであると。これは「エントロピーの非可逆性」の話とも関係していると思います。エントロピーは増加し続けるので、減ることはない。一切のものの消滅や否定が内容を乏しくさせる操作ではなく、新しいものを加えるという視点は、やはりエントロピー概念の先駆けなんですね。

さらに、「確率」や「ランダム性」が進化や有機体の発展、人間社会の進展において重要だという点も挙げられます。これはこのチャンネルでも扱っている「ブラックスワン」や「犯罪の脆弱性」についての議論と共通していて、ランダム性の重要性を非常に強調している点で、やはり先駆的です。

つまり、線的な発想を重視せず、近代科学以前の目的論的な、あるいは機械論的な発想とは一線を画している。この姿勢は、ベルクソンの思想全体にもつながっています。ユヴァル・ノア・ハラリやタレブは、おそらくベルクソンを読んでいるんじゃないかと思わせる節があります。人間の思想の中で非常にベーシックなことを言っているので、2010年代や2020年代に再読された例も多いですね。

あと、「文学的な表現」として印象的なのが、「ベルクソン、ディオニュソスの海に入れ。泳いでみろ」というような表現です。要するに、ニュートンが海岸で遊んでいたとすれば、ベルクソンはその海に自ら入って泳いでみたということなんでしょう。海に入って泳ぐためには「息継ぎ」が必要で、その「息継ぎ」が知性を直感と結び直して意識全体に回帰させる作業なんだと思います。

人生が一時的に過去を振り返ること、それもまた「引き継ぎ」の一環です。息継ぎをすることで、長く泳ぎ続けられる。つまり、知性は広大な生命の流れの中に身を置くことができる。それが「上昇」という訓練を経て、「知性を超える哲学」を準備するという表現につながるのだと思います。

というわけで、全体をざっと見た上での感想の一つを述べてみました。

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