花の檻、芝居の罠――江戸幕府が恐れた情と演戯の力(江戸時代)
江戸幕府が花魁や歌舞伎を警戒したのは、単なる風紀の乱れを憂えたからではない。そこには、幕府体制そのものを揺さぶりかねない、庶民文化の力強さへの根源的な不安が潜んでいた。
遊女は、ただの肉体労働者ではなかった。とくに「太夫」と呼ばれた高位の花魁は、和歌や書画にも通じ、町人や武士を惹きつける知性と教養を兼ね備えていた。彼女たちは、遊郭という制度の枠に囲われながらも、その内側で情と金と知を操り、身分秩序の垣根を越えて交遊を重ねていた。武士が恋に狂い、家を捨てて身請けを申し出るという噂は、幕府の耳にも届いたであろう。それは、儒教的な「忠義」や封建的な「家」の理念を根底から揺るがすものだった。
一方、歌舞伎もまた、治世の安寧を脅かす存在だった。もともとは遊女たちの踊りから始まったこの芸能は、美少年が演じる若衆歌舞伎、そして町人人気に応える男役者たちの野郎歌舞伎へと発展した。その過程で、色欲を煽る演出や派手な衣装、舞台から飛び出すような贔屓筋との交わりが幕府の逆鱗に触れた。歌舞伎の舞台は、しばしば時代劇のかたちを借りて、将軍や老中を風刺する仮託の場ともなり、芝居小屋は単なる娯楽空間ではなく、政治的感情の噴出口となったのである。
幕府がとりわけ恐れたのは、こうした文化が生む「連帯」の力だった。芝居小屋や遊郭は、武士、町人、商人、職人といった階層の違う者たちが一堂に会し、身分を超えて情や金を通わせる空間である。ある旗本が役者に入れあげ、ある町人が花魁に財をつぎ込む。その関係性は、幕府が求めた主従の縦構造を崩し、横のつながり――すなわち庶民による自律的な社会の萌芽を生み出してしまう。
経済の面でも問題は深刻だった。花魁や役者は町人経済のアイドルであり、衣装代、贈答品、遊興費などに天文学的な金が動いた。借金をしてまで芝居に通い、花魁の心を射止めようとする者が後を絶たず、これが町人社会に経済的破綻や犯罪を誘発する可能性があった。幕府はこうした金銭の奔流が持つ破壊力を見抜き、制度的に「囲い込む」ことで、一定の管理下に置こうとしたのである。
さらに深刻だったのは、情が理を凌駕する価値観の広がりである。江戸時代の統治理念では、上に従い、親に仕え、家を守ることが何より尊ばれた。しかし歌舞伎や遊郭では、「恋に殉じる」ことこそが美徳とされ、人々は舞台や物語を通じてその価値に酔いしれた。心中事件が続発し、脱藩や家出が相次ぐ。幕府にとってこれは、感情が秩序を超えるという、まさに体制崩壊の予兆でもあった。
こうして見れば、幕府が花魁や歌舞伎に対して取った政策――吉原の囲い込み、女歌舞伎の禁止、脚本の検閲、役者の苗字帯刀禁止など――は、単なる道徳的配慮ではない。それは、秩序維持と統治権力の延命をかけた、文化との静かな戦争だった。封じきれぬ華やかさと、制御不能な情動。それでも幕府は、完全な弾圧ではなく、あくまで制度内で「管理」することを選んだ。そこにこそ、江戸という時代の柔らかくも狡猾な支配の姿が浮かび上がるのである。
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