Wednesday, May 28, 2025

川崎市川崎区の堀之内町は、今もどこか妖しさと懐かしさが交差する町である。京急川崎駅から徒歩圏内に位置するこの地は、歴史と風俗が複雑に絡み合い、特異な文化を醸し出してきた。面積はおよそ〇・〇六四八平方キロ。二〇二五年三月末の人口は千四百三十一人、世帯数は千二百八十八である。

川崎市川崎区の堀之内町は、今もどこか妖しさと懐かしさが交差する町である。京急川崎駅から徒歩圏内に位置するこの地は、歴史と風俗が複雑に絡み合い、特異な文化を醸し出してきた。面積はおよそ〇・〇六四八平方キロ。二〇二五年三月末の人口は千四百三十一人、世帯数は千二百八十八である。

江戸時代、東海道川崎宿の一角としてにぎわったこの地域には、飯盛女と呼ばれる女性たちが旅籠に身を置き、実質的な遊女として旅人の相手をしていた。川崎宿の東寄り、小土呂や堀之内周辺は、江戸へ向かう男たちが最後の遊びを楽しむ場として知られ、粋と色気の町並みが続いていた。

明治以降、鉄道の普及とともに宿場の役割は失われるが、堀之内には芸妓置屋や貸座敷が残り、やがて「堀之内芸者」と呼ばれる女性たちが文化を支えた。戦後、全国に出現した青線地帯の一つとして再編され、表では飲食店や旅館を装い、裏では女性たちが短時間で性を売る、簡素な風俗店が軒を連ねた。

このような業態は「ちょんの間」と呼ばれ、畳敷きに布団一枚、水場と灯りだけの小部屋で行われた。人々はそこに短い逢瀬と孤独の慰めを求めた。正式な許可を得ぬまま営まれたこうした店舗は、やがて摘発の対象となってゆく。

一九六〇年には初のトルコ風呂「京浜トルコ」が開業し、堀之内は風俗公認区域としてその名を知られる。一九六六年の法改正により、正式にトルコ風呂が認可され、やがてソープランド街として発展。東京の吉原に次ぐ規模を持つに至った。

だが、二〇〇〇年代以降は風営法の厳格化とともに、違法営業の摘発が相次いだ。〇五年には「ちょんの間」が一斉摘発され、外国人女性の不法就労も問題視された。現在では営業形態は大きく変化し、治安も徐々に改善しつつある。

堀之内の周辺には、東海道川崎宿交流館や真福寺といった文化施設があり、往時の面影をたどることができる。また、イタリアンのアチェロ、中華料理のパンず亭、ラーメンの人気店や回転寿司など、多様な味覚の店も立ち並ぶ。

この町は、江戸の宿場から令和の歓楽街まで、長きにわたり「遊び」と「癒し」を担ってきた。雑多な路地の奥に、幾層もの記憶が降り積もる。歩けば、煙と香のむこうに、かすかに女たちの笑みと男たちの嘆きが聴こえてくる。

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