型破りの落語に宿る戦後庶民の魂――古今亭志ん生という存在(昭和戦前・戦後)
古今亭志ん生(五代目、1890年〈明治23年〉~1973年〈昭和48年〉)は、昭和を代表する落語家であり、その破天荒な語り口と、どこか間の抜けたような話芸で一時代を築いた。「芸の肥料は貧乏だ」と冗談めかして語った彼の人生には、貧困、流転、敗戦、そして復興と、昭和の激流がそのまま流れ込んでいる。
志ん生の話芸は、「崩し」や「間のズレ」に特徴があり、上手に語ろうとしないことが、むしろ聴衆の心に沁みた。口調はぼそぼそ、筋から逸れ、脱線する。しかしその「ずれ」こそが、当時の人々が日常で感じていた混乱と重なり、共感を呼んだ。特に戦後の焼け跡からの復興期において、彼の落語は、「笑うこと」の力を人々に思い出させた。
代表作の一つである「火焔太鼓」は、典型的な志ん生落語である。ガラクタ屋の亭主が偶然手に入れた太鼓が高価なものと分かり、大儲けするという他愛のない話だが、志ん生の語る「何も知らないくたびれた男」と「したたかな女房」のやりとりには、戦後の庶民のしたたかさとユーモアが込められている。
また「らくだ」は、志ん生のもう一つの代表作で、酔っぱらいと暴力と葬式が入り乱れる、どこかグロテスクで猥雑な噺である。だが彼が語ると、それは不思議な親しみと哀愁を帯びてくる。社会の底辺で生きる人間たちの滑稽と悲哀を、笑いで包み込む包容力がそこにあった。
晩年、脳梗塞で倒れながらも、リハビリを経て再び高座に立った姿は、多くの聴衆に「芸の強さ」と「生のしぶとさ」を印象づけた。「あたしゃもうだめだ」と言いながら語る志ん生の姿は、落語という芸の中に、生きる力そのものが宿っていることを示していた。
志ん生の落語は、完璧ではない。しかし、だからこそ人間くさい。彼の芸は、笑いが涙に近いところにあることを、戦後の人々に教え続けたのである。
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