堪え難きを堪えた声――昭和二十年夏、終焉の旋律
玉音放送(ぎょくおんほうそう)は1945年(昭和20年)8月15日正午に行われた昭和天皇によるラジオ放送であり、日本国民に対して太平洋戦争(大東亜戦争)の終結を正式に伝える歴史的な出来事である。この放送は「大東亜戦争終結ノ詔書」を昭和天皇が朗読したものであり、日本がポツダム宣言を受諾し、連合国に降伏する旨を国民に告げるものだった。玉音放送は天皇の肉声が初めて一般に公開された瞬間でもあり、多くの国民に衝撃と動揺をもって迎えられた。
この放送は事前に録音された音声、すなわち玉音盤によって行われ、NHKラジオ第1放送を通じて全国に伝えられた。内容は文語体の漢文調で綴られており、当時の一般庶民には非常に理解しにくいものだったが、その中にあった「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び…」という言葉は、多くの国民の記憶に深く刻まれることとなった。
録音は放送前日の8月14日深夜、皇居内で行われたが、終戦に反対する一部の軍人たちは「宮城事件」と呼ばれるクーデター未遂を引き起こし、玉音盤の奪取を試みた。しかしこの計画は未遂に終わり、玉音盤は無事に保護され、翌日正午の放送が実現したのである。
玉音放送は敗戦の現実を直接的に国民に伝える初めての機会であり、日本人の戦後の価値観や平和への意識に大きな影響を与えた。この放送を機に、長きにわたる戦争が終わりを迎え、日本は新たな時代へと歩み出した。
今日においても玉音放送の音声は宮内庁のウェブサイトなどで公開されており、昭和天皇の肉声を聴くことができる。また、NHK放送博物館などでは玉音盤の実物や関連資料が展示されており、その歴史的意義を学ぶことができる。8月15日には毎年、全国戦没者追悼式が行われ、正午には黙祷が捧げられることからも、玉音放送は日本人の記憶に深く刻まれた出来事である。
その背後には1945年7月26日に連合国が発表したポツダム宣言がある。日本に無条件降伏を求めたこの宣言に対し、日本政府は7月28日に黙殺を表明し、戦争継続の姿勢を見せていた。しかし、8月6日に広島に原子爆弾が投下され、続いて8月9日には長崎にも原爆が落とされ、同日未明にはソ連が日ソ中立条約を破棄して参戦したことで、戦局は決定的に崩壊した。
8月9日夜から10日未明にかけての御前会議では、昭和天皇が自らポツダム宣言受諾の意志を示した。国体護持を条件とするこの受諾方針は8月10日に連合国へ伝えられ、8月13日に連合国は天皇制の存続を黙示的に認める回答を返した。これを受け、8月14日には再度の御前会議と閣議が開かれ、正式に降伏が決定された。
同日の夜、天皇による終戦の詔書の朗読が録音され、ラジオ放送の準備が整えられた。だが深夜には宮城事件が発生し、放送妨害を企てた一部将校が玉音盤を奪取しようと皇居に侵入。玉音盤は床下に隠され、宮内省職員によって守られた。未遂に終わったこの事件を乗り越え、8月15日正午、ついに全国に玉音放送が流れた。
こうして、国民は天皇の口から直接戦争の終結を知ることとなった。この放送は、敗戦という衝撃だけでなく、天皇と国民との関係、戦後日本の出発点を象徴する出来事として、歴史に深く刻まれ続けている。
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