笑いの間(ま)に生きる――古今亭志ん生と敗戦の記憶(昭和戦前・戦後)
古今亭志ん生(五代目)は、明治から昭和にかけての激動の時代を、破天荒な話芸で生き抜いた稀代の落語家である。滑舌は悪く、筋から外れ、脱線ばかりする。それでも、彼の落語には笑いとともに、どうしようもない人間の愚かしさや哀しさがにじんでいた。戦後の焼け跡で彼の語る落語は、ただの芸ではなかった。混乱の中で言葉を持たぬ者たちに、代わりに語ってくれるような、そんな力があった。
「火焔太鼓」では、何も知らぬガラクタ屋の男が偶然手に入れた太鼓で一攫千金を得る。したたかな女房とのやりとりは、混乱期を生き抜いた庶民の知恵と図太さを描き出す。「らくだ」では、暴力と笑いが混ざり合いながら、社会の底辺で生きる人間たちの切実さが滲み出る。彼の演じる登場人物たちは、皆どこか抜けていて、けれどもどこか愛おしい。
脳梗塞から復帰した晩年の高座、「あたしゃもうだめだ」と呟きながら噺を続ける姿には、芸の枠を超えた人間の業があった。完璧でないことこそが彼の芸の核であり、むしろ「不完全さ」にこそ真実があるという信念すら漂っていた。志ん生は、笑いの中に人生の複雑さを閉じ込めた語り手であり、戦後の人々の記憶と感情を語り継いだ生き証人でもあったのだ。
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