芸能の風刺的役割―笑いが照らす権力の影(1970年代初頭)
1970年代初頭の日本は、高度経済成長の成果が国民生活を潤す一方、公害問題や政治不信、そして学生運動の余韻が社会全体に重くのしかかっていた。権威主義的な政治の空気が強まり、人々の実感とかけ離れた政治言説は空疎に響き、社会の矛盾はいたるところに露呈していた。そうした状況のなかで、芸能や文学は単なる娯楽にとどまらず、権力の矛盾を浮き彫りにする文化的な抵抗の場となった。
芸能人や作家たちは、直接的な糾弾を避け、笑いやユーモアを通じて権力の二重基準を描き出した。寺山修司は言葉の曖昧さを逆手に取り、方言や横文字の使い方を通して社会の力学を風刺した。野坂昭如は桜田門で機動隊員が一斉に着替える光景を「ヌードショウ」と表現し、警察の行為は公務として正当化される一方、市民が同じことをすれば罪に問われるという矛盾をユーモラスに示した。こうした語りは笑いを誘いながら、権力の理不尽さに対する批判意識を聴衆に呼び起こした。
また、この時代は性や暴力を扱った映画や舞台が盛況を迎え、同時に摘発や検閲に晒されるという「規制と自由のせめぎ合い」が繰り返されていた。芸能はこの緊張関係を逆手に取り、規制の網をかいくぐる表現方法として風刺を活用した。笑いによる批評は、表現者が検閲を回避しつつ、観客に時代の矛盾を考えさせる契機となったのである。
芸能の風刺的役割は、文化の消費にとどまらない「社会的想像力の実践」でもあった。笑いは権力と市民との距離を測り直す装置として機能し、人々に批判的な視点を与えた。1970年代初頭の笑いと風刺は、抑圧的な時代にあって人々の心を解き放つと同時に、権力の影を照らし出す文化的抵抗の象徴だったのである。
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