揺らぐ銀幕の神話――1971年、女優たちの光と影
1971年という年は、日本の芸能界にとって一つの「転換点」にありました。戦後から1960年代にかけて、映画界を支えた大手映画会社(東宝・松竹・日活・大映など)はテレビの急速な台頭に直面し、観客動員は年々減少。1960年に約11,000館あった映画館は1971年には4,000館を切り、映画はもはや「庶民の娯楽の王様」ではなくなっていたのです。
その中で、かつて銀幕で「理想の女性像」を一手に担っていた女優たちは、次第にテレビドラマやバラエティへの進出を求められるようになりました。有馬稲子や岸惠子のように、映画だけでなく舞台やテレビにも活躍の場を広げていた女優たちは、その柔軟さをもって「女優生命」を延ばす必要がありました。
この記事では、こうした女優たちの「二重生活」に焦点が当てられています。スクリーン上で描かれる純愛や貞淑な妻像と、実生活での結婚、離婚、異国との往復、報道の誇張とのあいだに立たされる葛藤――それは単なるゴシップではなく、時代が「女優に何を求めていたか」という文化的問いを浮かび上がらせるものでした。
岸惠子が当時パリでの生活を送りながらも日本で女優業を続けていたのは、国際結婚・女性の自立・国境を越える表現者という、新しい女性像の体現であり、その自由さは保守的な日本社会において批判も受けました。しかし一方で、彼女は映画『雪国』などで古典的な女性像も演じており、伝統と革新の「あいだ」に立つ象徴的人物だったのです。
さらに、有馬稲子のような「正統派女優」は、清純さや美しさといった価値を保つことに重圧を感じながらも、舞台などで新たな芸術的表現に挑戦していました。映画という「マスの芸術」から、より内面的で深い演技を求められる「演劇」へと移行していくのもこの時期の特徴です。
また、70年代初頭の日本は公害問題、学生運動の終焉、経済成長の揺り戻しの中にあり、若者たちの価値観も多様化していました。そうした中で、従来のスターシステムによって押し上げられた女優像が、必ずしも若い観客に受け入れられなくなっていたのも事実です。より「等身大」で「自我をもつ女性」が求められるようになり、桃井かおりや樹木希林といった個性派が登場する土壌が形成されつつあったのです。
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