野坂昭如の「被告」としての自覚 ― 昭和47年の時代背景とともに
1972年(昭和47年)、野坂昭如は『四畳半襖の下張』をめぐる「わいせつ文書販売事件」で被告人として法廷に立った。当時の日本は高度経済成長が進み、消費社会の爛熟とともに性表現をめぐる規制が厳しく問われた時代であった。戦後民主主義が浸透したといわれながらも、出版や放送は依然として警察・司法の統制下にあり、言論の自由と国家権力のせめぎ合いが続いていた。野坂は日常の中で「自分は被告だ」と意識させられる瞬間を何度も体験した。講演会が断られたり、テレビ出演がスポンサーの意向で消えたりするたび、自身が「猥褻文書の被告」として社会的に色眼鏡で見られていることを痛感した。しかし彼は卑屈にはならず、むしろ巨大な国家権力と対峙する立場に自らを位置づけた。敗戦を経験した世代として、
この裁判を単なる猥褻物問題ではなく、表現の自由をめぐる闘争と捉え、正義は自分の側にあると信じて堂々と法廷に立ち続けた。社会は性の解放と保守的反発が交錯し、ストリップ番組や成人映画が盛行する一方で摘発も相次ぐ不安定な時代であった。野坂の「被告」としての自覚は、この矛盾を体現し、戦後日本の文化的自由をめぐる象徴的事件として記憶されている。
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