Friday, August 29, 2025

野坂昭如の「被告」としての自覚 ― 昭和47年の時代背景とともに

野坂昭如の「被告」としての自覚 ― 昭和47年の時代背景とともに

1972年(昭和47年)、野坂昭如は『四畳半襖の下張』をめぐる「わいせつ文書販売事件」で被告人として法廷に立たされていた。当時の日本は高度経済成長の爛熟期であり、消費社会が成熟すると同時に、性表現をめぐる社会規制が厳しく問われていた時代だった。戦後の民主主義が浸透したといわれながらも、出版・放送の自由は警察や司法の強い介入にさらされ、言論の自由と国家統制の境界線が絶えず揺れ動いていたのである。

野坂はこの裁判を通じ、日常生活の中で「自分は被告である」という意識を何度も突きつけられた。例えば、地方での講演が「男女共学の学校がない町だから」と拒否されるとき、またテレビ出演の話がスポンサーの意向で消えるとき、そのたびに自身が「猥褻文書の被告」として社会的に色眼鏡で見られていることを痛感する。普段は自覚を忘れていても、こうした場面で突如として現実がのしかかってくるのである。

しかし彼は卑屈にならず、むしろ「国家権力」という巨大な存在と対峙する立場に自らを位置づけた。敗戦を経験した世代として、戦後民主主義や言論の自由がまだ揺らぎやすいことを十分理解しており、この裁判は単なるわいせつ物販売の問題にとどまらず、表現の自由をめぐる闘争の一環と認識していた。メディアで一方的に弁護することに抵抗を覚えつつも、正義は自分の側にあるという確信を抱き、堂々と法廷に立ち続ける姿勢を崩さなかった。

当時の社会では、性の解放が進みつつある一方で、保守的な価値観が強く反発する状況があった。テレビのストリップ番組や成人映画の隆盛と同時に、警察による摘発や裁判が頻発し、自由化と規制強化がせめぎ合う不安定な時代であった。野坂の「被告」としての自覚は、その矛盾を体現するものであり、個人の裁判であると同時に、戦後日本の文化的自由をめぐる象徴的事件でもあった。

――このように、野坂の語る「自覚」は単なる私的感慨ではなく、当時の時代背景と直結した重みを持っていたのです。

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