破門状の影 テキヤ社会の掟と戦後から高度成長期
テキヤの社会における破門は、最も重い処分として組織の秩序を守るために用いられた。親分や兄弟分への無礼、金銭のごまかし、女関係の重大な違反は信頼を崩す行為とされ、軽い場合は修業や謹慎、重い場合は全国追放や絶縁となり、死をもって償うと語られることもあった。破門は単なる退場ではなく、組の威厳を保つ最後の手段であり、構成員に規律を刻み込む効果を持っていた。戦後直後の闇市や露店は生活を支える場であったが、統制を欠けば縄張りや信用は崩壊する。そこで破門は秩序維持のため不可欠だった。高度成長期に企業社会が懲戒解雇を通じて規律を守ったのと同様に、テキヤは破門を統制の柱とした。時代が進むと制裁は形式化され、はがき一枚で通知されるようになったが、その重みは変わらなかった。
破門状や絶縁状は文書として残り、黒字は復帰の余地、赤字は永久追放を意味した。暴力団排除条例が全国で整備された2010年代には破門状そのものが問題視され、通知方法も揺れた。裁判で証拠として扱われる例もあり、社会的にも重みを持った。テキヤは神農信仰や盃事を通じて共同体を維持し、血縁を超えた絆を掟で結びつけた。企業が契約で人を縛った時代に、テキヤは義理と破門によって秩序を支え、戦後から高度成長期にかけて日本社会のもう一つの姿を映した。
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