Saturday, December 27, 2025

お雇い外国人 シーボルトと英国世論を動かす新聞工作 幕末から明治初年

お雇い外国人 シーボルトと英国世論を動かす新聞工作 幕末から明治初年

対英外交において、日本側が新聞論説を重視した背景には、十九世紀後半の英国が世論の国であったという事情がある。議会政治が成熟し、外交政策も新聞や雑誌を通じて形成される世論の影響を強く受けていた。条約改正や極東政策をめぐる判断は、外務省内部だけで完結せず、新聞紙上の論調が政治家や知識人に与える影響が無視できなかったのである。

この文脈で中心的な判断を下したのが、在英外交を担った青木周蔵であった。青木は、政府間交渉だけでは日本の立場を十分に改善できないことを理解し、世論形成そのものを外交戦略に組み込む必要性を強く意識していた。その具体策として採られたのが、有力紙への論説掲載、すなわち新聞工作である。

この情報戦の背後には、幕末以来の知的ネットワークの延長線があった。日本像を欧州に媒介してきた伝統は、シーボルトに代表される学術的紹介から始まり、明治初年には政治的意図を帯びた言論戦へと転化していく。直接の寄稿実務はお雇い外国人であるツーボルトが担い、青木の指示のもと、有力紙に日本に有利な論調を流通させた。論説では、日本の近代化努力や条約改正の正当性が、英国の読者に理解されやすい言葉と論理で示された。

当時の報告書からは、どの新聞に載せるか、どの論調が効果的かといった検討が周到に行われていたことが読み取れる。外交はすでに政府間の密室交渉だけでは成立せず、公開された言論空間そのものが戦場となっていたのである。

この新聞工作は、近代外交が国家間交渉にとどまらず、社会全体を相手にする営みへと変質していたことを示す。軍事力や経済力で劣位にあった日本は、言論と情報を武器に英国世論へ働きかけ、間接的に政府の判断環境を変えようとした。シーボルト以来の日本像の翻訳を継承しつつ、政治的情報戦へと踏み込んだこの試みは、幕末から明治初年の外交が到達した現実的な戦線であった。

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