Saturday, December 27, 2025

ダイオキシン問題と見えない加害への恐怖(1990年代後半)

ダイオキシン問題と見えない加害への恐怖(1990年代後半)
1990年代後半、日本社会に広がったダイオキシンへの恐怖は、従来の公害認識とは異なる性質を持っていた。水俣病や四日市ぜんそくのように被害が可視化された公害と違い、ダイオキシンは症状がすぐに現れず、どこまでが危険なのか分かりにくい物質だった。本号で繰り返し語られる不安は、この見えなさそのものへの恐怖を反映している。

1997年の厚生省による緊急調査や報道をきっかけに、小型焼却炉が高濃度ダイオキシンの発生源である可能性が指摘され、全国で焼却炉の休廃止や集約化が進められた。高温連続運転の大規模炉は排出量を抑えられるとされたが、住民側には、規模が大きいほど事故時の影響も拡大するのではないかという新たな不安が生じていた。

とくに強く意識されたのが、焼却灰や飛灰の行き先である。適正処理されない灰が最終処分場に持ち込まれ、土壌や地下水を長期的に汚染する可能性は、明示的な犯罪でなくとも加害性を伴う行為として受け止められていた。ダイオキシンは環境中に蓄積し、生態系を通じて人間に戻るため、将来の被害者を生むかもしれないという時間差の恐怖が社会に広がっていた。

本号が描く廃棄物処理の現場は、違法性が立証される以前の段階で、制度や管理の隙間に潜む加害性が感知される状況である。ダイオキシン問題は、環境破壊が事件化する前に、恐怖と不信として社会に蓄積されていく過程を象徴的に示していた。

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