Monday, March 3, 2025

思想の漂流者―吉本隆明と日本の知の転換期(1970年代)

思想の漂流者―吉本隆明と日本の知の転換期(1970年代)

1. 吉本隆明とは何者か
吉本隆明(1924-2012)は、戦後日本を代表する思想家・詩人であり、評論を通じて文学・政治・社会に深い影響を与えた。「大衆の立場」から思想を語る彼の姿勢は、戦後の左翼知識人とも一線を画し、独自の思想を築き上げた。1960年代から70年代にかけて、特に学生運動や文化論争のなかで強い影響力を持ち、戦後日本の知的潮流を大きく動かした。

2. 1970年代の日本と知識人の転換期
1970年代、日本は高度経済成長の終焉を迎え、石油危機(1973年)を契機に社会全体が大きな転換期に差し掛かっていた。一方、60年代末の学生運動は「あさま山荘事件」(1972年)を境に急速に衰退し、政治闘争としての左翼運動は終焉を迎えていた。こうした時代のなかで、吉本隆明の「大衆の原像」や「自立の思想」は、社会の変容を読み解く鍵として注目を集めた。

彼は「国家」「社会」「文化」は個人の集合的な幻想であり、それがどのように形成されるのかを分析する「共同幻想論」(1968年)を発表し、多くの知識人や学生に衝撃を与えた。70年代に入ると、この理論は社会の変化を読み解くための重要な視点として、さらに議論を呼ぶこととなった。

3. 孤高の思想―大衆と国家の狭間で
吉本の思想は、「権力」や「国家」に対する批判だけでなく、「大衆」とは何かを問い直すものだった。彼は、政治的イデオロギーに従属するのではなく、いかに個人が「自立」するかを重視した。これは、当時の左翼知識人が掲げていたプロレタリアート革命とは異なり、「民衆の自発的な覚醒」を促す思想であった。

しかし、この立場は時に孤独なものでもあった。戦後知識人の中心にいた丸山眞男や江藤淳とは対立し、従来の「戦後民主主義」の枠組みを超えた思索を展開していた。そのため、彼の思想は左派・右派の枠を超えて支持と批判を受け、どの陣営にも属さない独特の立場を保ち続けた。

4. 学生運動の終焉と思想のゆくえ
1970年代後半、学生運動の終焉とともに、政治的な理想主義が後退し、日本社会は安定へと向かっていった。この時期、吉本隆明は政治理論から文化批評へと関心を移し、大衆文化の変化に注目し始める。彼は、宮崎駿のアニメーションや村上春樹の文学に見られる「ポスト戦後」の感性を分析し、日本社会の精神的な変容を論じた。

高度経済成長が生んだ消費文化のなかで、大衆はもはや政治的主体ではなく、新たな表現の受容者としての役割を担い始めていた。吉本は、この変化を単なる堕落ではなく、「新たな精神の形成」として捉え、文化の持つ力を探求し続けた。

5. 知の漂流者として
吉本隆明の思想は、戦後日本の知のあり方に根本的な問いを投げかけた。1970年代の彼は、学生運動の終焉と高度経済成長の終わりという時代の転換点のなかで、既成の左翼知識人とは異なる視点から「大衆の思想」を模索した。その姿勢は、政治闘争に敗れた知識人たちが次々と社会から退場していくなかで、ひときわ異彩を放っていた。

彼の思想は単なる政治論ではなく、時代とともに変化する大衆の意識と向き合いながら、新たな知の地平を切り拓くものであった。そして1970年代の終焉とともに、彼の思索はさらに深まり、日本の文化・思想を読み解く重要な鍵となっていくのである。

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