『鋼の腕が動いた日 ― 産業用ロボットと人間の境界 1981年12月』
1981年12月6日、兵庫県明石市にある川崎重工業の明石工場で日本初となる産業用ロボットによる死亡事故が発生した。犠牲となったのは35歳の男性作業員。彼は停止中とされていた産業用ロボットのアーム内部でメンテナンス作業を行っていたが突如としてロボットが作動しアームが彼の頭部を直撃。作業員は即死した。人間と機械との間に横たわる「境界」が初めて破られた瞬間だった。
事故の直接的な原因は点検作業中にもかかわらずロボットの電源が完全には遮断されていなかったことにあった。非常停止スイッチも作動しておらず作業中にロボットが不意に動作可能状態になったとされる。またメンテナンス手順に関するマニュアルは十分でなく現場での安全教育も形式的なものにとどまっていた。機械が稼働を再開するきっかけは明確ではなかったが設計上人間の存在を想定していない制御構造が背景にあったことも問題視された。
この事故の報道は社会に大きな衝撃を与え「ロボットが人を殺した」という強烈な印象を残した。翌1982年労働省は「産業用ロボットの安全使用に関する指導要領」を発出。ロボットのメンテナンス時には電源を完全に切断し安全柵や感知センサーなどの物理的・電子的な安全対策の設置さらには従業員への徹底した安全教育を求める動きが急速に広がった。1983年には「JIS B 8433(産業用ロボット安全規格)」が制定され設計段階からの安全性の組み込みが義務づけられるようになった。
この事故は単なる作業現場の悲劇としてではなく「動く機械」と共に働く社会が本格的に直面した第一歩として記憶されている。ロボットという存在が人間と物理的に接触することの危険性そしてそれにどう備えるべきかという問題意識がこの出来事を契機に大きく芽生えた。現在の協働ロボットつまり人と同じ空間で安全に作業できる設計思想や技術――たとえば速度制限、接触検知、緊急停止制御、リスクアセスメントの実施など――はこの事故の教訓に基づいて形成されたものである。
1981年12月の川崎重工業における死亡事故は「産業用ロボットが初めて命を奪った日」として産業史の中に深く刻まれている。そしてそれはロボット技術が成熟していく過程において人間との共存を真に考える出発点となった。
関連情報・出典:
・『読売新聞』1981年12月7日朝刊「ロボット事故で作業員死亡 初の事例」
・労働省労働基準局通達(1982年)「産業用ロボットの安全使用に関する指導要領」
・『ロボット安全ハンドブック』(日本規格協会 1984年)
・日本ロボット工業会資料(1983年)「JIS B 8433 制定の背景と解説」
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