Saturday, March 22, 2025

白き飯、痺れる脚――ある兵の記憶(明治三十七〜三十八年・日露戦役)

白き飯、痺れる脚――ある兵の記憶(明治三十七〜三十八年・日露戦役)

日露戦争当時、陸軍の兵士たちは精白された白米を主食として支給されていた。美しく贅沢な食事として歓迎されたが、やがて多くの兵士が脚気にかかり、足のしびれや歩行困難、痙攣、さらには死に至るケースも相次いだ。海軍では高木兼寛の指導のもと麦飯を採用し、脚気の発症を抑えることに成功していたが、陸軍では軍医総監であった森鴎外が「脚気は細菌による感染症である」との立場を崩さず、麦飯導入を拒んだ。その結果、戦闘よりも脚気で命を落とした兵士の数のほうが多かったとも言われている。兵士たちの間では、戦場で弾に当たって死ぬならまだしも、飯で死ぬのは悔しいという声が上がった。ロシア軍が大豆をもやしにして栄養を確保していたのと対照的に、陸軍の食糧政策は非効率であった。この脚気問題
は、権威ある人物の誤判断が修正されず、多くの命に影響を及ぼした典型例とされ、医学史や軍事史における重要な教訓として語り継がれている。

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