Saturday, March 1, 2025

現在、製紙メーカーを中心に需要が逼迫している。

現在、製紙メーカーを中心に需要が逼迫している。RPFメーカーの課題は、原料の紙やプラスチック類の確保であり、生産能力に見合わない事業を行うメーカーも多い。
その中で、RPF原料の目利きと確保、堅実な事業計画で大手の製紙メーカーの信頼を得ているのが北越環境(新潟市)だ。
世代交代が進む地域の中間処理・最終処分業に新たな事業開発が求められる中、同社は等身大で新しいビジネスモデルを確立しようとしている。
『原料のポイント』。
新潟駅から東へ車で5分ほどの工業団地に、印刷・情報用紙のシェアトップ3の製紙メーカー、北越製紙の新潟工場がある。
現在、北越製紙は新潟を含む全国4工場で、年度におけるCO2排出量を同一レベルに抑えるべく、木質チップやRPFなど石油代替燃料の活用を積極的に展開している。
工場と貨物列車引込み線を挟んで反対側に位置する細長い敷地には、産業廃棄物の中間処理場がある。
北越製紙に木質チップやRPFを供給する北越環境のプラントだ。
「当社は基本的に建設廃棄物を受け入れており、単一素材では売却できないような廃棄物をRPF原料に振り分けています。
あくまで中間処理ラインのひとつ」と、北越環境の代表取締役・長井崇さんは語る。
同社のRPFは原料を減容し、140度の加熱を経て、長さ1cm程度に押し出して成形する。
これにより、石炭と同等の熱量を持つRPFが出来上がる。月産初トンのほとんどを北越製紙に納入しているが「最近は医療系廃棄物の焼却のための助燃剤としてオーダーしてくる顧客もあります。
代替燃料としてだけでなく、燃焼時間の長さなど、RPFならではのメリットが見えてきました」と、顧客情報の吸い上げからの有効利用法をさらに多方面に提案している。
『多種多様な建設廃棄物の処理』。
多種多様な建設廃棄物を扱うだけに、RPF原料の目利きは確かで、また必要な量も確保できる。
「カーテン、ソファ、ヘルメット、安全靴など、繊維の混じった複合素材の廃棄物でも分別すれば燃料になる。木材の破砕などで生じた粉じんもリサイクル素材に変える。」
RPF原料にする約束の廃棄物を集めるのではなく、これ以上手の施しようがないものをRPF化する発想がポイントだ。
同社は北越製紙から得る廃棄物の処理委託費と、そこからRPF原料を生成して製造したRPFの売り上げで利益を得る仕組みをとっている。
RPFの製造コストを抑える分、処理費で利益を確保する。それでも北越製紙にとっては他の処理会社に外注費を払うより安いという。
しかも契約期間は15年。いかに信頼されているかを物語っている。
『C-RPF製造の成功』。
長井さんは炭化させた廃棄物を固形燃料にするC-RPFの開発にも着手した。
C-RPFは石炭と同等の発熱量を持ち、品質や特長もほぼRPFと同等だ。
実用化されれば、全国で年間数百万トン発生する一般廃棄物を、溶融炉などよりも低コストで処理・燃料化できる。
長井さんは同じ新潟県の炭化炉のトップメーカー、エスケーテック(燕市)に建設汚泥の炭化を依頼。炭化した汚泥は粉状になり、同じRPF生産ラインに投入した結果、成形に適した粘度が生まれたという。
「生ゴミなどの有機系廃棄物も炭化すれば、熱量も十分で最適なC-RPF原料になることが分かりました。
炭化設備コストをクリアすれば、競争力は十分ある」。
C-RPFの製造は、23歳の担当者の勘を頼りに、加熱温度を通常より20度Cほど高く設定することで成功した。
年齢に関係なく、従業員は各担当のプロに徹している。
『二代目のビジネスモデル確立』。
北越環境の母体は、長井さんの父・弘栄さんが経営していた最終処分場である。
弘栄さんが体調を崩したため、長井さんが事業を引き継いだ。
4年経った今でこそ銀行が無担保で融資したり、多方面からの受注で引く手数多だが、就任1~2年は「経営状態は火の車だった」と長井さんは振り返る。
「事業を継ぐ頃、処分場はほぼ満杯。
新潟市の人口も増えて、新規処分用地の確保もままならない。市内一円で発生する産廃も増え始めた頃でした」。
そこで処分場の延命化のために中間処理で事業を繋ぐことを決意。
長井さんにとって生き残るための最善策はそれ以外なかった。
「中間処理といっても、受入物を減容化するだけ。
大赤字で、自分の貯金で社員に給料を払っていましたよ。
それでも、数ヵ月間は休んで欲しいとお願いしなければいけない従業員も何人かいました。
その時期は、従業員に申し訳なく、本当に辛かったですね」。
そんな長井さんは、北越製紙への燃料供給のチャンスを見出すために努力した。
『北越製紙への供給と新たな挑戦』。
長井さんは、北越製紙への燃料供給を実現するために、原料調達や製造プロセスの改善に取り組んだ。
北越製紙は、父・弘栄さんの頃からの得意先であり、先代が築いた財産は長井さんの新たな事業開発を経て受け継がれた。
長井さんは冷静な判断で、RPFの生産が軌道に乗り出した頃、他の地方の製紙メーカーの引き合いを断った。
「自分がいる地域でどれだけRPF原料になるものがあるか確認しないとダメ。
原料が減少する中で事業を成立させるためには、まず作れる量から考えるべきです」。
長井さんは、自身の事業が新たな環境ビジネス、環境改善にどう寄与できるのかを日々考えている。
「その観点で、弊社は一プレーヤーとしてどのポジションで利益を上げられるか考える。
背伸びせず、身の丈で成立する経営を心がけています」。

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