Tuesday, April 1, 2025

風を盗んだ男:AMSCとシノベルの裏切りの連鎖(2008–2011)

風を盗んだ男:AMSCとシノベルの裏切りの連鎖(2008–2011)

AMSCは、風力タービンの心臓部ともいえる制御ソフトウェアや電子機器の開発で知られ、オーストリアの子会社Windtecを通じて国際展開を進めていた。その技術の最大の顧客であり、中国の風力発電大手シノベル(Sinovel Wind Group)は、AMSCの売上の約半分を占めるほどの存在だった。だが、この信頼関係は、ひとりの技術者による裏切りによって音を立てて崩れていく。

セルビア出身のデヤン・カラバセヴィチは、AMSCのオーストリア子会社に勤務し、風力制御システムの中枢を担うソフトウェアの設計と開発に従事していた。彼はその職務上、最も機密性の高いソースコードやアルゴリズムに自由にアクセスできる立場にあり、その知識は企業にとってまさに命綱であった。2008年頃からシノベルとの関係が深まり、数年にわたって両社の提携は順調に見えた。しかし、2010年以降、カラバセヴィチは水面下で変化し始める。

彼は、シノベルからの接触を受け、多額の報酬と中国での地位を条件に、AMSCの制御ソフトウェアの中枢コードを不正に持ち出すことを決意する。辞表を提出したのち、在職中に自宅のPCやUSBデバイスを利用して膨大な量の機密コードを複製し、それを中国へ送付。この行為はAMSCの根幹を揺るがすこととなった。彼は取り調べで、「裏切りではない。より自分を正当に評価してくれる相手に協力しただけだ」と述べたと報じられている。さらには「AMSCは自分の才能を軽視した」とも語り、個人的な不満と復讐心が、国際的な企業スパイ事件へと発展した背景にあったことが明らかとなった。

シノベルは、入手した技術を用いてAMSCからの供給を絶ち、自社製造を続けた。2011年3月、シノベルは突然すべての注文をキャンセル。AMSCは激しい売上減に見舞われ、4月には株価が一夜にして42%も下落した。被害総額は約8億ドル(約640億円)にのぼるとされ、大規模なレイオフが発生し、企業の屋台骨が揺らぐ事態となった。

この裏切りは、技術の窃盗という形にとどまらなかった。シノベル側は事件直後から、中国国内外のSNSや技術フォーラムを巧妙に活用し、「技術は独自開発の成果」と主張する投稿を次々と拡散。AMSCを「契約に失敗した敗者」と印象付けるような情報操作が行われ、国際世論の混乱を招いた。これらの情報戦術は、シノベルの悪評を薄め、AMSCの信用をさらに傷つける効果を発揮した。

カラバセヴィチはオーストリアで逮捕され、2011年に執行猶予付き禁錮1年と罰金刑を受けた。AMSCは中国とアメリカでシノベルを提訴し、米司法省も2013年に産業スパイ罪でシノベルと幹部を起訴したが、中国は関係者の引き渡しを拒否し、法の裁きは宙に浮いたままである。

この事件は、グローバル技術市場において、個人の感情や倫理の欠如が、いかにして企業全体を破滅へと導くかを示す象徴的な一幕だった。同時に、SNS時代における企業の脆弱性、そして国家をまたいだ情報戦の現実を鋭く突きつけた。風を制御する技術を生んだはずの企業が、風のように裏切られ、風評によって追い詰められたこの物語は、現代の知的財産戦争の序章として、今もなお語り継がれている。

No comments:

Post a Comment