Wednesday, May 14, 2025

興行と抗争の狭間に揺れた男――名古屋・栄 石川尚の軌跡(1970年代〜2000年代)

興行と抗争の狭間に揺れた男――名古屋・栄 石川尚の軌跡(1970年代〜2000年代)

1970年代、三代目山口組傘下の平松組に舎弟として属していた石川尚は、名古屋に「名神実業」を設立し、後に直参組織「名神会」へと昇格させた。芸能部門「神戸芸能」に関わっていた経験から、名古屋でも「名神プロ」と称する芸能活動を展開。裏社会と芸能界が交差する領域で、タレントの興行やイベント運営を通じて勢力を拡大した。

1985年、四代目竹中正久の暗殺に端を発する山一抗争では、石川は組長の警護を任される立場にあり、同日には名神会若頭の南力も射殺される。その後、五代目渡辺芳則から舎弟盃を受け、愛知唯一の舎弟として名古屋の地盤を保った。2007年に引退し、跡を継いだ田堀寛は弘道会へ合流し、名神会は再び山口組直参へと昇格。栄に本部を構えた石川尚の足跡は、都市の記憶の奥深く刻まれている。

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