雪村いづみの奇跡――歌謡とジャズのあいだにて(1970年代)
赤塚不二夫がぽつりと語る。「最近の歌謡曲は、どうも程度が低い」。その口調には、芸能文化を長く見つめてきた者ならではの、哀しみと諦めがにじむ。けれど、そのすぐあとでこう続ける。「でも、雪村いづみは大好きだよ」。そこにいた面々がどっと笑う。評価の厳しさと、個人への賛辞が同居する、この時代ならではの空気が、そこにはあった。
若い世代の一人、海老名美どりは、テレビの中の音楽ではなく、生で聴くことの楽しさを語る。「うたっていうのは、音じゃなくて場でしょ」。ナイトクラブで感じるリズム。深夜の六本木で耳に残るテナーサックスの一節。そうした経験こそが彼女にとっての"音楽"だった。
赤塚はジャズにも言及する。「昔はジャズが大人の音楽だった。今は、若者のポップスになってる。時代が変わったのかな」。その変化を残念がるふうでもなく、むしろ少しうれしそうな様子すら見せる。「どっちもアリだよ俺は」と。
雪村いづみの名が再び挙がると、誰もがうなずく。あの声、あの立ち姿、あの品。戦後の不安と希望の中で、日本語と英語の境界を越えてきた歌手。その存在が、世代を超えて共有されていることに、どこか救われたような気持ちが皆に漂っていた。
音楽は好みの問題ではない。それは、自分の時間や空間。そして人生そのものに、どれほど深く食い込んでいるかという記憶の問題なのだと、誰もが気づいていた。ジャズか歌謡曲かという問いすら、もはや意味をなさないように思える、そんな一瞬だった。
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