Friday, May 23, 2025

甘やかされてるんですよ、世の中――テレビ時代に抗った芸人の覚悟(1980年代)

甘やかされてるんですよ、世の中――テレビ時代に抗った芸人の覚悟(1980年代)

立川談志が語る「芸人は守りに入るな」という言葉には、1980年前後の日本社会におけるテレビ文化の変容と芸能界の体質が強く影を落としている。1970年代から80年代にかけて、テレビは日本人の生活の中心に入り込み、娯楽と情報を同時に提供する圧倒的なメディアとなった。その一方で、テレビの中で活躍する芸人たちは、より「安全で無難」な存在へと変貌を強いられた。視聴者の苦情、スポンサーの意向、そしてマスコミの保守化によって、毒気のある発言や、皮肉や風刺を込めた芸は徐々にテレビから姿を消しつつあった。

そうした流れに対し、談志は明確に反旗を翻している。彼にとって芸とは、観客の顔色をうかがうものではなく、むしろその期待を裏切るところにこそ存在価値があるものだった。「甘やかされてるんですよ、世の中。弱者が正義ぶってる」と彼は言う。これは単なる逆張りではなく、当時の日本社会の空気そのものへの批判でもある。弱者の声が必要以上に持ち上げられ、批判が通らなくなり、逆に「守られるべき側」として神聖視されていく状況に、彼は言葉と芸で風穴を開けようとしていた。

談志は寄席でのマクラ、すなわち本題に入る前の導入話を「めちゃくちゃにやる」と語るが、それは即興性を重んじ、観客との間に起こる予測不能な揺らぎに身を任せる芸人の覚悟である。テレビでは放送コードや台本に縛られるが、寄席では芸人の本性がむき出しになる。そこで談志は「守り」の一切を捨て、自分の毒や哀しみや怒り、すべてをさらけ出すことで、芸を本物にしていたのだ。

テレビ文化が求める「芸人像」は、明るく、無害で、愛嬌のあるキャラクターだった。だが、談志のような芸人はその枠には収まらない。「お客様は神様です」と言い切った三波春夫の態度を談志は否定し、「客の言うとおりになるのはアマチュア。プロは発光体であるべきだ」と断言する。この「発光体」という比喩は、芸人が自らの芸と精神で光を放ち、その光で客を照らす存在であるという思想を示している。

このような芸に対する覚悟と姿勢は、テレビがすべてを番組として均質化してしまった時代において、極めて稀有な反骨であった。談志の言葉と芸は、同時代の芸人たちに対しての批評でもあり、日本社会そのものに対する静かなる挑戦でもあったのだ。

No comments:

Post a Comment