草の根が揺らす国家――伽藤睦美と環境NGOの胎動(1995年)
1990年代の日本は、バブル経済の崩壊後、都市と地方の格差、過剰な開発と廃棄物問題、そして地球温暖化などの地球規模の環境課題に直面していた。こうした中で、「市民の声」がようやく環境政策の現場に届き始めた時代だった。その先頭に立っていた一人が、『日本環境会議』の会長・伽藤睦美である。
伽藤は、環境庁の「環境基本法」制定(1993年)と「地球環境保全行動計画」策定(1994年)という流れのなかで、「法と行政だけでは環境は守れない」と公然と訴えた人物である。彼女が推進したのは、全国の市民団体の知見と活動を可視化し、行政に対して「環境政策のもう一つの主体」として市民の存在を突きつけるという試みだった。
その象徴が『環境NGO総覧』の刊行である。1995年当時、登録されたNGOは4500団体を超え、都市のリサイクルネットワークから里山保全、海岸清掃、環境教育、脱原発運動にいたるまで、活動の幅は驚くほど広かった。伽藤はこの情報を一冊にまとめ、自治体すべてに配布することで、市民と行政、そして企業との接点を生み出そうとした。
「政府が見逃す小さな声を、ネットワークの力で増幅する」。それが彼女の信念であり、草の根の連携が環境政策に影響を与える初の機運でもあった。当時の日本ではまだ「NPO」や「NGO」といった言葉が浸透しておらず、企業・行政主導の取り組みに比して市民運動は周縁に追いやられていたが、伽藤の登場により、「市民参加」というキーワードが現実味を帯びていく。
また彼女は、行政への批判だけに終始せず、「対話」と「共同行動」を重視し、環境庁・地方自治体との合同会議や政策ワークショップを積極的に企画。地域に眠る実践知を制度設計に反映させるという「現場起点の政策構想」が、その後の「環境基本計画」の地域連携モデルにも影響を与えたとされる。
伽藤睦美の活動は、環境問題を「誰かがやるもの」から「私たちが担うもの」へと転換させた。経済成長一辺倒からの脱却を模索する時代の中で、彼女の声は確かに国家と市民を結ぶ「環境の回路」を拓いたのである。
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