忘れられた碁石の一手――落語『笠碁』と昭和の人情経済(昭和中期)
落語『笠碁』は、たった一手の「待った」をめぐって絶交する二人の碁好きの男を描いた噺である。その一件は滑稽でありながら、心の奥に静かに波紋を残す。人間関係のなかで「言った」「言ってない」の記憶の齟齬は、ただの言葉の衝突に見えて、実は「お前は俺のことをどう思っているのか」という、存在そのものに関わる問いかけなのだ。
舞台は江戸だが、この物語が深く響くのは、昭和中期という時代背景のなかにこそある。戦後復興を経て高度経済成長へと向かう過程で、日本人の生活は目覚ましく変わったが、人と人との関係性――特に金銭と友情をめぐる感覚は、なお旧い価値観の名残を残していた。現金取引が主流になる以前、ツケで物を買い、信用で商売を成り立たせていた時代において、「覚えていること」は相手への最大の礼儀であり、記憶は義理と恩を繋ぐ細い綱だった。
この噺を演じた柳家馬生(二代目)は、その微細な感情の揺れを大切にした。無理に笑わせず、あえて間をとり、聴衆に「これはただの笑いではない」と語りかけるような演出を施した。その結果、『笠碁』は「落語」でありながらも、一篇の心理劇のような重みを獲得していく。馬生の語りは、昭和の庶民にとっての金、情、そして記憶というものがいかに重層的であったかを物語っていた。
『笠碁』は、記憶のあいまいさが友情を損ない、やがてそれが和解のきっかけともなる物語だ。それは、変化の激しい時代にあっても、変わらぬ人の情を描き出す。小さな碁石の一手に託された人間の真実――それは、昭和の記憶とともに、今も私たちの胸に残り続けている。
No comments:
Post a Comment