びわ湖の環境と景観を考える「市民提案型」市街化計画 ―1996年10月 滋賀県近江八幡市―
1990年代半ばの日本は、バブル経済崩壊後の社会的・経済的再編の途上にあり、「持続可能な開発(サステナブル・ディベロップメント)」という理念が徐々に定着し始めた時代でした。特に1992年の地球サミット(国連環境開発会議)以降、環境と開発の調和を目指す「アジェンダ21」への対応が全国の自治体に求められ、国土交通政策や都市計画の分野でも、環境配慮型のアプローチが加速していきます。
その中で滋賀県近江八幡市の取り組みは、琵琶湖という日本最大の淡水湖を抱える地域ならではの特性を生かした、先駆的な「市民提案型」市街化計画として注目されました。琵琶湖流域は長年にわたり水質汚濁や富栄養化問題に悩まされ、1980年代には「石けん運動」や生活排水の浄化運動が活発化し、全国的な環境意識の象徴ともなっていました。近江八幡市は、そうした市民運動の土壌がある地域であり、1990年代にはそれを市政に組み込む形で、都市計画の新たなモデルを模索していたのです。
近江八幡市で進められた「環境保全型市街化モデル事業」は、環境庁と建設省が共同で推進していた全国規模のモデル事業の一環で、市街地拡大のあり方を自然環境や景観との調和を基礎に見直すものでした。具体的には、琵琶湖周辺の湿地帯や農地、生態系の連続性を保全しながら、新たな住宅地や商業エリアの開発計画を進める必要がありました。
この計画では、従来のように行政や開発業者主導でなく、市民の意見や生活実感を反映させる「ワークショップ方式」が導入されました。市民、研究者、行政職員が一体となり、例えば「農と共生する住宅街」や「水辺の見える街路設計」などを提案し、住民が環境を守る主体として計画の初期段階から関わる仕組みが試みられたのです。
こうした取り組みは、同時期に全国で芽吹き始めた「協働型まちづくり」「パブリック・インボルブメント」といった概念にも呼応しており、1996年当時としては革新的な試みでした。また、後の「生物多様性基本法」や「環境基本計画」の形成にもつながる、草の根からの都市計画実践の事例としても評価されています。
琵琶湖という貴重な自然資源を未来に引き継ぐために、近江八幡市の市民が行政や専門家と共に環境と暮らしの調和を模索したこの計画は、まさに「ローカルから始まる環境民主主義」の萌芽と言えるでしょう。
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