ブレイン・ウイルスの創始者たち――1986年ラホールの若き兄弟とPC黎明期の警告
1986年、パーソナルコンピュータがまだ一般家庭に普及する途上にあった頃、パキスタンのラホールに住むアムジャド・ファローク・アルヴィ(当時24歳)と弟のバシット・ファローク・アルヴィ(当時17歳)は、IBM PC互換機向けの小さな医療用ソフトウェア会社を営んでいた。彼らは自分たちのソフトが海賊コピーされていることに業を煮やし、その不正使用を防ぐ手段として「Brain(ブレイン)」というコードを書いた。それが、後に"世界初のPCウイルス"と呼ばれることになる。
当時の時代背景にはいくつか注目すべき技術的・社会的な要素がある。まず、1980年代半ばのパソコン環境は、セキュリティという概念が未発達だった。コンピュータウイルスという言葉自体がようやく学術的に登場しつつある段階で、一般にはほとんど無縁の話題だった。しかもウイルスはフロッピーディスクを通じてしか拡散しない「スニーカーネット」時代であったため、その拡散速度は人間の移動に依存していた。
アムジャドとバシットは、Brainウイルスに自分たちの会社名・住所・電話番号を明記した。つまり、ウイルスであるにもかかわらず堂々と名乗っていた点が特異である。画面には「BRAIN COMPUTER SERVICES, 730 NIZAM BLOCK, ALLAMA IQBAL TOWN, LAHORE-PAKISTAN」などと表示され、「ウイルスにご用心。ワクチンについてはご連絡を」とメッセージが出るようになっていた。今であれば犯罪とされる行為だが、当時はむしろ著作権保護の一種という意識で作られていた節がある。
このウイルスは、フロッピーの起動セクタに感染し、使用者が意図せず他者に広めてしまう仕組みを備えていた。そのため、Brainはやがて地球を一周し、アムジャドとバシットの名前はサイバーセキュリティの歴史に刻まれることになった。彼らは「ソフトウェアをただでコピーすることは不正である」との倫理的主張を掲げていたが、その手段が後のマルウェアの原型を形成してしまったという点で、予期せぬ影響力を持った存在となった。
当時のパキスタンは、情報産業において先進国とは大きく隔たりがあったが、若者たちの間でコンピュータへの関心が急速に高まっていた時代でもある。Brainの登場は、単なる技術的逸話にとどまらず、サイバー倫理の曖昧さと、国際的な情報セキュリティの未整備という状況を象徴する事件でもあった。
このように、ブレイン・ウイルスの誕生は、1980年代中盤の技術的無垢と倫理的混沌を反映し、そして現在に至るマルウェアの時代の幕開けを告げるエピソードとして記憶されている。
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