Thursday, July 31, 2025

三重県四日市――もうひとつの「負の遺産」としての石原産業事件-1995年4月

三重県四日市――もうひとつの「負の遺産」としての石原産業事件-1995年4月

1995年当時、日本は高度経済成長期を経て、公害問題への社会的関心がようやく高まりつつあった。とりわけ四日市市は、1960年代に発生した「四日市ぜんそく」により、全国的に公害都市として知られていた。硫黄酸化物を含む排煙により、住民が重度の呼吸器疾患に苦しんだ過去があり、1970年代には環境基準の強化とともに、企業への規制が進められていた。

しかし、そうした歴史の記憶があるにもかかわらず、石原産業が長年にわたりチタン製造の副産物であるフェロシルトを適切に処理せず、不法に埋設していたことが1990年代に露見した。この廃棄物からは六価クロムや重金属が検出され、周辺の土壌汚染や地下水汚染が問題となった。住民の健康被害も懸念され、「企業責任」と「行政の監視体制の不備」が改めて問われることとなった。

当時はバブル経済崩壊後の混乱期であり、行政と企業の癒着や監視の不十分さに対する社会の不信感が強まっていた。環境基本法の制定(1993年)を受けて、全国的に「持続可能な社会」への関心が高まる中、この事件はまさに"負の遺産"として象徴的な意味を持った。地元市民団体による監視活動の強化や報道の追及により、石原産業は土壌改良と撤去作業を開始したものの、企業への信頼は回復されず、「第二の四日市公害」として長く記憶されることとなった。

この事件は、いかに過去の経験が教訓とされなかったかを如実に示すものであり、1990年代の日本社会において「経済優先から環境重視へ」と向かう意識変化の転換点でもあった。

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