都市と農地のせめぎあい――横浜市緑区の田園消失問題 - 1995年4月
1990年代半ば、日本の都市圏ではバブル経済崩壊後の地価下落を背景に、新たな都市開発の波が再び郊外へと向かっていた。横浜市緑区も例外ではなく、かつては里山と田園が広がっていた地域が急速に宅地化されていた。1995年当時、この区では「市街化調整区域」の見直しとともに、農地の宅地転用申請が急増。特に、住宅開発業者が農地をまとめて取得し、一括して造成する手法が主流となり、地域の風景はわずか数年で大きく変貌した。
この都市化の波により、生態系にも深刻な影響が及んだ。谷戸地形に残っていた水田や小川、竹林などが失われ、それらに依存していたカエル、ゲンジボタル、トンボ、ウグイスといった在来種の生息地が消滅。地元の自然観察団体は生物多様性の喪失を警告していたが、当時の市政は「住宅供給」と「開発促進」が主眼であり、自然保全とのバランスを取るには至らなかった。
さらに、農地所有者にも苦しい現実があった。高齢化と相続税の圧力により、農地を手放すケースが多く、営農意欲の低下も重なって、「守りたくても守れない農地」が増加。市の緑地保全条例も制度的には存在したが、実際の適用例は少なく、地域住民と行政との間に温度差があった。
このように、1995年の横浜市緑区では、戦後の「都市集中型成長」のひずみが生態系と農業基盤の両方に顕在化していた。今日の「都市と自然の共生」や「エコロジカル・ネットワーク」構想につながる課題が、この時代にすでに浮上していたのである。
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