Sunday, August 24, 2025

言葉の虚飾と政治の影―佐々木更三の演説をめぐって(1970年代初頭)

言葉の虚飾と政治の影―佐々木更三の演説をめぐって(1970年代初頭)

1970年代初頭、日本社会は高度経済成長の輝かしい成果の裏で、大気汚染や水質汚濁といった公害問題に揺れ、さらにベトナム戦争をめぐる国際情勢が人々の意識に重苦しい影を落としていた。政治の舞台では自民党の一党優位が続き、社会党は国民の不満を代弁しながらも、もはやかつての勢いを失い始めていた。そんな時代において、社会党の重鎮である佐々木更三の演説は、文化人や知識人の目にどこか滑稽で空虚なものとして映った。

佐々木は理論派として知られ、演説の場でも論理性を前面に押し出したが、その語りの中で唐突に横文字を交える癖があった。近代的な響きをまとわせる意図があったのかもしれないが、聴衆にはそれが内容を伴わぬ虚飾のように響き、「ちっとも説得力がない」と皮肉られることとなった。批評家の寺山修司らは、言葉はそれ自体ではなく、社会的な力や背景によってこそ意味を持つとし、佐々木の演説を中身のないレトリックに過ぎないと断じた。

当時の日本社会には横文字が氾濫し、広告や流行語が「知的」や「モダン」といった記号を演出していた。だがそれは現実感を欠いた薄っぺらな印象を残すばかりで、政治の言葉にまで侵入したとき、その軽薄さはいっそう際立った。佐々木更三の横文字は、そうした時代の風潮を象徴し、政治家の言葉が生活者の実感から乖離していく過程を示していた。

この揶揄は一人の政治家への批判にとどまらず、戦後日本政治の根本的な病理を突いていた。言葉が形式化し、人々の現実や矛盾に寄り添わず、観念的な遊戯にとどまるとき、政治はその説得力を失う。1970年代初頭の政治文化の空虚さは、佐々木更三の演説に象徴され、言葉と力の結びつきのなさが国民の政治不信を深めていったのである。

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