Monday, August 25, 2025

産業廃棄物の最終処分減少 ― リサイクル社会への胎動 1990年代後半

産業廃棄物の最終処分減少 ― リサイクル社会への胎動 1990年代後半

1990年代半ば、日本は深刻な「ごみ処分場不足」の危機に直面していた。高度経済成長期以降の大量生産・大量消費・大量廃棄の流れが続き、最終処分場は逼迫し、特に都市部では埋立地の残余年数が一桁台と報告されていた。こうした中で、厚生省がまとめた1996年度の産業廃棄物統計は、リサイクルの進展を示す希望の兆しとして注目を集めた。

調査によれば、産業廃棄物総量は約4億500万トン。そのうち37%にあたる1億5000万トンがリサイクルされ、最終処分量は6800万トンに抑えられた。これは1991年度の9100万トンから年々減少しており、政策や事業者の取り組みの効果が数字に表れた形である。廃棄物の内訳を見ると、汚泥が47.7%、動物のふん尿が17.8%、建設廃材が15.2%を占め、これら三つで全体の約8割を占めていた。当時、建設ラッシュで膨れ上がった建設廃材や下水処理に伴う汚泥処理は、大きな社会的課題であった。

背景には1991年の廃棄物処理法改正や、リサイクル法制の整備があった。1991年には「再生資源利用促進法」が施行され、1995年には容器包装リサイクル法が成立、1997年には本格施行された。これらの制度により、事業者にリサイクル義務や分別収集の徹底が課され、廃棄物の減量と再資源化が一層進んだ。加えて、自治体による中間処理施設の整備や、セメント原料としての汚泥利用、建設廃材の骨材化技術など、リサイクル技術の現場導入が進展したことも大きい。

とはいえ、この時期のリサイクルはまだ質より量を重視しており、再生品市場の拡大が追いつかないという課題が残されていた。需要不足でリサイクル品の価格が下落するなど「リサイクルすればよい」という単純な構図ではなく、市場形成と制度設計の両立が求められていたのである。

1990年代後半の産廃最終処分量の減少は、循環型社会への移行に向けた「最初の確かな一歩」といえる。数値が示すのは、単なる廃棄物処理の縮小ではなく、法制度、技術、そして社会意識の変化が結びついた結果であり、後に2000年循環型社会形成推進基本法へとつながる重要な流れを示していた。

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