Sunday, December 28, 2025

ラナルド・マクドナルドという例外的存在――鎖国下日本に入り込んだ偶発的英語教師(19世紀前半)

ラナルド・マクドナルドという例外的存在――鎖国下日本に入り込んだ偶発的英語教師(19世紀前半)

ラナルド・マクドナルドは、日本の近代英語教育史を振り返るとき、制度の外側から突然現れた、きわめて特異な存在である。彼は明治政府が計画的に招聘した「お雇い外国人」ではなく、幕末の鎖国体制がなお厳格に維持されていた時代に、偽装漂流という形で日本に入り込んだ人物であった。しかし結果的に、彼の存在は日本側通詞の英語運用能力を高め、後の対外交渉に実質的な影響を与えた。

19世紀前半の日本は、名目上は鎖国を続けながらも、ロシア、イギリス、アメリカなど列強の接近に直面していた。長崎を窓口とするオランダ語中心の通詞制度は、英語圏船舶の増加によって限界を露呈しつつあったが、幕府はまだ英語教育を制度化する段階には至っていなかった。そうした空白のなかに、偶然入り込んだのがマクドナルドである。

彼はアメリカ生まれで、父はヨーロッパ系白人、母はチヌーク族酋長の娘という混血であった。この出自は、当時のアメリカ社会において強い疎外感を生み、彼自身に帰属意識への葛藤を与えた。19世紀の欧米では、北米先住民の祖先がアジアに由来するという学説や想像が広まり、日本を精神的故郷とみなす言説も存在していた。マクドナルドもまた、日本への強い憧れを抱き、国家や宗教の使命ではなく、個人的動機から来日を決意する。

1848年、彼は捕鯨船から意図的に脱走し、漂流者を装って利尻島に上陸した。これは、外国人の自由入国が認められない日本に入るための、ほぼ唯一の現実的手段であった。その後、長崎へ送られ、崇福寺の末寺に軟禁されるが、この拘束状態のなかで奉行所は彼を英語能力の資源として利用し、森山栄之助ら通詞に英語を教えさせた。

当時、日本で学ばれていた英語は、オランダ語文献を介した間接的知識にとどまっていた。これに対し、マクドナルドが教えたのは、発音と会話を重視した口語英語であった。この経験を積んだ通詞たちは、1853年のペリー来航時に、実務的通訳として中心的役割を果たすことになる。

英語圏の研究では、マクドナルドは「日本最初の英語教師」と紹介されることが多い。彼が作成した日英単語対照表や日本語メモは、日本語研究史の観点からも貴重な資料とされている。制度的には例外的存在であったが、偶然と個人の行為が歴史を動かした象徴的事例として、マクドナルドは幕末史のなかで特別な位置を占めている。

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