Tuesday, December 30, 2025

お雇い外国人 法は誰の言葉か――英国公使パークスと浦上の夜、主権の論理(明治初年 一八六〇年代後半から一八七〇年前後)

お雇い外国人 法は誰の言葉か――英国公使パークスと浦上の夜、主権の論理(明治初年 一八六〇年代後半から一八七〇年前後)

明治初年の日本は、近代国家としての制度が未整備なまま、不平等条約体制の下で列強と向き合っていた。浦上教徒事件は、その不安定さを象徴する出来事であり、宗教問題が即座に外交問題へ転化する危険を孕んでいた。英国公使パークスは、教徒流配を文明と人道に反する行為として非難し、日本政府の内政に強く介入しようとした。その背後には、文明国が未開国を指導するという帝国主義的な世界観と、軍事的威圧を辞さない外交姿勢があった。これに対し大隈重信は、感情や攘夷論ではなく国際公法の論理を用い、「一国の法律で自国民を罰するのに外国の干渉を受ける理はない」と主権の原則を主張した。争点は宗教政策の是非ではなく、文明の基準を誰が定めるのかという問題だった。この法理応酬は、日本が威圧に屈
する存在から、理屈で対峙する主体へと転じつつあったことを示し、近代外交への静かな転換点を刻んでいる。

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