北海道三笠に残された油の夢 大量循環の時代が終わった頃 一九九七年から二〇〇五年
北海道三笠市に設立された道央油化センターが二〇〇五年三月末をもって廃プラスチック油化事業から撤退したことは地方の一事業の失敗というより二〇〇〇年代初頭の日本の環境政策と経済合理性の衝突を象徴する出来事だった。
一九九〇年代後半日本では最終処分場の逼迫が深刻化し廃棄物問題は全国的な政治課題となった。こうした背景のもとで容器包装リサイクル法が施行され自治体が分別回収し民間が再商品化を担う制度が本格的に動き始める。油化やガス化といったケミカルリサイクルは焼却や埋立に代わる切り札として語られ廃プラスチックから燃料を得る技術は循環型社会の象徴のように扱われていた。
道央油化センターもその期待を背負って誕生した。地方自治体企業地域振興を結びつけ廃プラスチックを資源へと変換する拠点として構想された事業である。しかし制度が本格運用に入ると理想と現実の乖離が急速に表面化する。
容器包装リサイクル法の再商品化入札制度では処理の質よりもコストが強く重視された。その結果高炉や既存設備を活用できるコークス炉原料化が圧倒的に有利となり設備投資が重く処理単価の下がらない油化は入札競争で不利な立場に置かれた。市場は技術の新しさではなく単純な価格差で選別されたのである。
さらに深刻だったのが原料となる自治体回収プラスチックの品質問題である。異物混入や材質混合が避けられない回収実態は油化工程において生成油の品質低下や歩留まり悪化を引き起こした。大量処理を前提とすればするほど品質管理は難しくなり処理量を増やすほど採算が悪化するという矛盾が生じた。
当時の政策思想は焼却や埋立からどれだけ量を振り替えられるかという数値目標に強く引きずられていた。技術ごとの適正規模や原料特性を十分に考慮しないまま全国一律の制度設計が進められた結果その歪みが地方の現場で露呈したのが三笠の事例だった。
この撤退以降日本の廃プラスチック政策は徐々に方向を変えていく。大量一括処理への過度な期待は後退し分別精度の高い原料を前提としたマテリアルリサイクルや限定条件下でのケミカルリサイクルへと位置づけが修正されていった。油化は万能技術ではなく成立条件の厳しい選択肢として再評価されるようになる。
現在二〇二〇年代に入り脱炭素や化学原料循環の観点から再びケミカルリサイクルが注目されているがその議論の前提には二〇〇〇年代初頭の失敗の蓄積がある。三笠で起きた撤退は地方の敗北ではなく制度設計と技術導入の時間差が生んだ歴史的な教訓だったと言える。
大量循環の夢が終わり条件付き循環へと移行する過程。その転換点に道央油化センターの静かな解散は位置づけられるのである。
No comments:
Post a Comment