見えざる脅威の時代──オウム真理教とバイオテロの狭間で(1990〜2001年)
1990年代、日本は一つの狂気に直面した。オウム真理教という新興宗教団体が、終末思想と科学技術を融合させ、化学兵器による無差別テロを実行したのである。1995年3月20日に起きた地下鉄サリン事件は、その象徴ともいえる凶行だった。東京の通勤ラッシュを狙い、地下鉄車内に液体サリンが散布され、14人が死亡、6000人以上が重軽傷を負った。この攻撃の背景には、国家中枢への直接的な打撃を狙う政治的野心と、教団内部の終末予言があった。それに先立つ1994年、長野県松本市でもサリンが散布され、8人が死亡、600人が傷を負った。両事件は、信者に科学者や医師を抱えていたオウムが、自らの手で化学兵器を製造し、使用した稀有な事例として世界を震撼させた。
だが、オウムの脅威はそれだけにとどまらなかった。彼らは生物兵器、すなわちバイオテロの実行も企てていた。1993年、東京都内で炭疽菌の散布を試みた形跡がある。幸いにも使用された菌株が非毒性であったため被害は出なかったが、これは明確なバイオテロ未遂事件と位置づけられる。また、ボツリヌス菌の培養も試みていたが、いずれも失敗に終わっている。オウムの計画は、化学と生物、双方の兵器を用いた複合的なテロであった。
一方、オウム事件から約6年後、2001年のアメリカで、世界は再び「目に見えない恐怖」に直面することになる。9.11同時多発テロの直後、米国各地に炭疽菌入りの郵便物が送りつけられ、5人が死亡し、17人が感染する事件が発生した。この炭疽菌郵送事件は、物理的な破壊以上に、社会に深い不安と恐怖を植え付けることを狙った心理戦的なバイオテロであり、実行犯の特定には長期間を要した。
オウム真理教のテロと、アメリカの炭疽菌事件は、異なる背景と動機を持ちながらも、いずれも非対称な戦いの中で「科学」を武器にしようとした事例である。化学兵器と生物兵器、いずれも国家に代わって個人や小集団が大規模な破壊力を持ちうるという、現代の脅威の象徴となった。そしてその狭間で、社会は「透明な死」と向き合わざるをえなかった。目に見えぬ毒、無音の爆弾。それらがもたらしたのは、死者の数以上に深く長い、恐怖の記憶であった。
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