奥羽血戦録――平成元年 山形抗争秘史
平成元年(1989年)、山形県で「みちのく抗争」と呼ばれる暴力団同士の激しい縄張り争いが発生した。1980年代後半、日本の暴力団社会は大きな再編の時期を迎え、関西・関東の勢力が地方へ進出し、東北地方でも対立が深刻化。山形県では複数の組織が衝突し、発砲事件や襲撃が多発した。
この抗争の背後には、奥州会津角定一家五代目総長・木村茂夫の存在があった。彼は1967年に五代目総長に就任し、1973年に山口組へ加入。1989年には五代目山口組組長・渡辺芳則の舎弟となる。彼は東北の勢力均衡を図る調停役としても動いたが、暴力の連鎖を完全に断ち切ることはできなかった。
警察は大規模な取り締まりを実施し、逮捕者を多数出すことで抗争の沈静化を図った。1990年代にかけて対策が強化され、1992年に木村が死去すると、東北地方の勢力図も変容し、旧来の秩序は過去のものとなった。抗争は終息したが、その影は山形の街に今も刻まれている。
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