Monday, March 3, 2025

誇りと血の宿命 ー 山一抗争と山本広の決断

誇りと血の宿命 ー 山一抗争と山本広の決断

昭和五十九年、日本の裏社会を震撼させた山一抗争が勃発した。これは、日本最大の暴力団である山口組と、その分派である一和会との間で繰り広げられた戦後最大級の抗争であった。発端は、三代目組長・田岡一雄の死後、次期組長の座を巡る争いだった。多くが若頭の山本広の継承を予想していたが、選ばれたのは竹中組の竹中正久だった。誇りを傷つけられた山本は組織を離脱し、新たに一和会を結成。ここに、血で血を洗う戦いの幕が開く。

抗争は全国へと拡大し、大阪の繁華街では銃声が響き、多くの命が失われた。竹中正久の暗殺未遂、ミナミでの銃撃戦と襲撃が相次ぎ、抗争は激化する。そして昭和六十年一月、京都の老舗料亭「一力」にて竹中が暗殺されると、山口組の怒りは頂点に達し、徹底した報復が始まる。警察の大規模な取り締まりと資金源の断絶により、一和会は急速に衰退し、山本の影響力も次第に薄れていった。

そして昭和六十四年、ついに山本広は一和会の解散を決断する。かつて三千人を率いた男は、己の誇りを貫いたがゆえに敗れ、抗争の幕を閉じた。その後、平成四年には暴力団対策法が施行される契機となり、日本の暴力団社会は新たな時代へと進むこととなる。誇りを優先したがゆえに全てを失った男。その名と抗争の傷跡は、今もなお日本の裏社会に深い影を落としている。

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