地下よりの書簡 Brainウイルスとアルヴィ兄弟の倫理的実験(1986年~) 笑(ラルズ)
1986年、パキスタンのラホールで活動していたアルヴィ兄弟、バシト・ファルーク・アルヴィとアムジャド・ファルーク・アルヴィの手によって、世界初のMS-DOS向けコンピュータウイルス「Brain」が作成された。これは5.25インチのフロッピーディスクを介して感染するブートセクタウイルスであり、起動時にディスクのブートセクタを書き換え、自身を複製する機能を持っていた。感染ディスクを使ってPCを起動すると、別のフロッピーにも自動的に感染が広がる仕組みで、自己複製性を備えた最初期の実用的マルウェアとして記録されている。
このウイルスの特異な点は、破壊的な動作を行わなかったことである。ファイルの削除やデータ破壊などは行わず、ブートセクタに特定のテキストメッセージを書き込むにとどまっていた。その中には、「Welcome to the Dungeon」や「(c) 1986 Basit & Amjad」などの文言に加え、彼らの実際の住所(ラホール市内)と電話番号まで記載されていた。さらには「このウイルスに注意し、ワクチンが必要なら連絡を」といった内容が添えられており、これは明らかにユーザーに直接接触を促す意図を持っていた。
アルヴィ兄弟は当時、医療機器向けのソフトウェアを販売しており、自作ソフトが海賊版として広く流通している現状に頭を悩ませていた。彼らはこのウイルスを、違法コピーに対する抗議と警告の手段として作成したと後年語っている。つまり、Brainは破壊行為を目的とした悪質なウイルスではなく、教育的・倫理的な主張を内包したものであった。
当時の国際的なIT専門誌はこのウイルスを特集し、世界のセキュリティ意識に衝撃を与えた。1988年のPC World誌では、「東洋から現れたウイルス」として紹介され、MS-DOSユーザーに対してフロッピー感染の危険性を警告している一方で、アルヴィ兄弟の行動が明確な破壊意図に基づいていない点にも注目していた。1989年のByte Magazineでは、ウイルス内に実名・住所・電話番号を記載した行動を「極めて異例」と評し、コンピュータ倫理の新しい地平を切り開いたとも論じられていた。
その後の取材でも、アルヴィ兄弟は自身の行為に対して一貫して正当性を主張している。2001年、BBCのインタビューに応じたバシト・アルヴィは、「当時は"ウイルス"という言葉すら知らなかった。我々が作ったのは自己複製コードで、正しい行動を促すための教育的手段に過ぎなかった」と語った。さらに、2006年にWired誌がBrainウイルス誕生20周年特集を組んだ際には、彼らが経営する会社「Brain Computer Services」が今もラホールで営業を続けていることが紹介され、世界中の学生や研究者が訪問するほどの存在になっていることが報じられた。
Brainウイルスは、技術的にも文化的にも極めて象徴的な存在となった。その登場以降、多くの模倣ウイルス(Brain Bなど)が出現し、MS-DOSを標的としたマルウェアが一気に増加する。セキュリティ企業であるMcAfeeやSymantecは、Brainのような事例への対応を急ぎ、アンチウイルスソフトの商業化を加速させたともいわれている。つまり、Brainは単なるウイルスの起源であるだけでなく、情報セキュリティ産業を成立させる上での原点ともなった。
現代においては、たとえ破壊的でないコードであっても、ユーザーの許可なくシステムに介入する行為は重大なセキュリティ侵害とされる。だが、1986年という黎明期において、Brainはコンピュータを通じた社会的メッセージの試みとして、また技術と倫理の曖昧な境界に立つ実験として捉えられる余地がある。その意味で、Brainウイルスは単なるマルウェアではなく、情報社会における自己表現と規範の問題を提起した歴史的事件といえる。
No comments:
Post a Comment